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大学生 そのとき書きたいことをそのまま

ててまる3号

 

 

天気が良いので今日は自転車を漕ぐことにした。


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なんとなく必要そうな最低限の荷物とおやつをリュックに詰め込み、家を出て自転車に跨る。まずは2日前からピッツァが食べたくて仕方がないので駅前にピッツァを食べに行くことにする。私はピッツァのことが好きなのでこのあたりのピッツァ屋は大抵訪れたことがあるのだが、ひとつ食べログで気になっていながらまだ訪れていないピッツァ屋があったのでそこに行くことにした。ピッツァ。言うまでもなく気取っています。

 

自転車を漕ぐ。天気が良い。天気が、良い!寒さというものが全く含まれていない天気だ。自転車の調子もいい。若干ライトをつけると不穏な音が流れるが、日が落ちる頃には家に戻っていたいのであまり問題ではないだろう。

 

さて、ここで私は2年間乗り回しているこの自転車に名前がないことに気がつく。なんてことだ。しかし折角今日、人生で初めて「特に目的とかないけど天気いいから自転車乗り回すだけの一日ってやつをしちゃおっかな」と思ったのだからこの記念に今更だが名前をつけてみようと思う。この自転車は鮮やかな緑色をしている。BTSでマイクの色が緑なのは誰だっけ?キム・テヒョンだ。そこで私はこの自転車をててまる3号と名付けることにした。ちなみにててまる1号は敦煌の石窟寺院で螺旋丸習得の修行をしているし、2号に至っては3年前に木星の姫に見初められて以来地球に帰っていない。

 

ピッツァ屋に入りマルゲリータのランチセットを注文する(私はピッツァを食べるとなったらマルゲリータしか注文しない)。うまい。やっぱり石窯で焼いたピザは生地が違いますよね、と言いたいが最近石窯で焼いていないピザを食べていないので正直何とどう違うのかはよく分からん。私の家の徒歩圏にはランチには1000円前後で石窯で焼いたマルゲリータを食べられる店が4つほどあるので講義の合間を縫って月に2.3回食べに行っている。

いいでしょ。


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それにしても石窯ってかっこいいな。外側は鮮やかな色のタイルて飾られているのになんかこう…黒い…強そうな窯の中はめちゃくちゃ燃えてるしめちゃくちゃうまいピザ…違うピッツァのこと作れるんだもんな。最強だ。石窯になりたい。はい、私の将来のビジョンは日本のピッツァ業界を牽引するような石窯になることです。具体的には、5年以内に自分がリーダーを任されたプロジェクトで成果を残し、石窯部長に就任します。そして10年以内には東京の三ツ星レストランの厨房に置かれるという目標があります。そのために現在も毎日の筋トレを欠かさずより強固な石窯へと…ダメだ、最近毎日ESのことばかり考えているせいで気を抜くとすぐES形式にしてしまう。私は勉強とか就活とか忘れるために今日は久しぶりに一日出かけるんだよ。大体石窯部長って何だ。ちょっと本当にそういうあだ名の部長居そうだな。口数も少ないし最初はとっつきにくくて若い女の子達に怖がられてるんだけど実はめちゃくちゃ信念があって頼れる上司なんだよな。しかも家族をめちゃくちゃ大事にしているし石窯部長の下で鍛えられた社員は後に焼きたてピッツァのように魅力的な人間へと成長して…違う、石窯部長のことは置いておこう。ピザ、うまい。ありがとう石窯部長。

 

 

ということで無事ピザ、ではなくピッツァを腹に収め、ててまる3号に乗り込む。既にお尻と脚が痛い。昨日夜久しぶりにジムに行ってトレーニングしたせいだ…しかしタニタに色々と身体のことを測定してもらったら体脂肪率は案外23%あるし筋肉量に至っては「少し足りないですね」などと言われて二度見してしまった。私で少し足りないのか!?っていうか「少し足りないですね」ってなんだ。少し、ってなんぼよ。具体性が少し足りないですね。

 

イヤホンのシャッフル再生はしょっぱなからBTSのLOSTを流している。いや、これからサイクリングするのにLOSTて。しかし今日の私はひたすら目的なく線路沿いを走るつもりなのでLOSTは…しない…筈だ……

 

先月タイヤを取り替えたばかりのててまる3号はぐんぐん進んでいく。暫くは私も何度か走ったことのある道だが、20分ほど漕いでいるともう全く見たことのない道になった。道が広くて人が少ない。チェーン店みたいな大きさのチェーン店ではなさそうな珍妙な店が並ぶ。看板のフォントがデカくてわかりやすくてダサい。イヤホンからはクラムボンのシカゴが流れている。クラムボンとかミツメの曲を聴いていると何故かキム・テヒョンのこと思い出すんだよな。っていうかお前、日本のインディーズバンドも色々知ってるだろ絶対。最近何聴いた?今度こっそり教えてくれよ。

 

 

少し疲れてきたので目についたベンチで休む。13時も超えると日差しが強い。ウィンドブレーカーの中の服を1枚脱いだ。ウィンドブレーカーは前ポケットが便利なので脱がない。靴からマスクまで全部黒で出てきてしまった…


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あっ端に写っている緑はおやつの無印で買ったラムネです。ラムネ、いいよね。たまにふと食べたくなるもんな。すっぺ〜

 

再び自転車を漕ぎ出す。だんだん目に映る景色の情報量が減ってくる。田舎、いいよなあ、余白があって。っていうか校庭が広い。仙台にいた頃通っていた私の小学校くらい広い。団地も一棟一棟距離がしっかり取られていてどの部屋も日当たりが良さそうだ。いいなぁー。都会は余白が少ない。隙間なく建物や情報が詰め込まれている。緑がないわけじないけど、「ここに緑を置こう」という意識の下に緑で埋めているような…なんだろう、自然さがない。しかし田舎に戻ったら田舎で戻ったで私も情報量が少ないと文句を言うんだろうな、高校生の頃そうであったように。

 

 

イヤホンからはウーター・ヘメルのBreezyが流れている。気分が良い。私は音楽の歴史や分類について詳しくはないが音楽を聴くことはかなり好きで、そして最近私が好きな音楽は大抵ジャズかR&Bオルタナティブロックという名前がつけられていることに気がついた。多分私が一番好きな音楽のジャンルはジャズだと思う。と気がついてからよく家にいる間はBLUE NOTEのプレイリストをシャッフルで流している。全然どれがだれのなんの曲かはわからないんだけど。

 

 

暫くててまる3号を漕いでいたら突然なかなか敷地面積の広く大きくて新しそうなショッピングモールのような場所についた。折角なので駐輪場に自転車を停めて散歩することにする。うわ駐輪場が無料だ…すごい…そこでトイザらスが目に入った。

 

 

さて、私はトイザらスに入ったことがない。

 

 

幼少期を過ごした土地にもトイザらスがあることはあったが、なんとなく私はおもちゃやゲームというものに昔から興味がなくひたすら本ばかり読んでいる可愛げのないヤツだったので、本当に一歩も足を踏み入れたことがないのだ。

 

 

…いっちょ、行ってみますか。

 

 

 

ということでトイザらスに足を踏み入れる。おもちゃが!!!!すごく!!!!ある!!!!!そして店内に入ってすぐ21歳という私の年齢は一番トイザらスにふさわしくない年齢であるということに気が付いてしまった。お母さんには若いし妹弟がいるにも年が離れすぎているだろうし…なんとなく居るだけで申し訳無さがある。すみません。

 

しかしすごい。おもちゃというものは、色数が多い。統一感がない。色数が……本当に…多い…………ベージュ系女子とやらはトイザらスの店内にある色数を見たら気絶するんじゃなかろうか。あとなんか服が売っているんだけどなんかもうこの売られている服が子供が普段着ていい服なのか遊びとしてのコスプレ用のものなのかよくわからん。もう子供服なんて何が「普通のデザイン」で何が「普通じゃないデザイン」なのか覚えとらんのだ。大体幼稚園生とか小学生なんて何着ても「こども」と「小さい」が強すぎて服の違和感なんて忘れてしまう。あと色々な場所からドーンとかドギャーンとかピコピコとか音が聞こえる。色数と音数の多さにくらくらしてきたので一旦店を出てベンチで休憩することにした。いやすごいトイザらス、これは…子供のうちに行っておくべきだった。21歳で初めて見るには刺激が強すぎる。

 

 

暫くショッピングモール内のベンチで休む。水筒に入れたお茶を飲む。熱い。今朝沸かしたてのお茶をTIGERのボトルに入れたのだから当然だ。いいんだよ私は暑い日に熱い飲み物を飲める女……

 

 

10分ほどベンチで虚空を見つめた後ショッピングモール内を探索すると駄菓子屋を見つけた。吸い込まれるように入り15ねん前を思い出しながらぽいぽいとカゴに入れていく。あーそうそうあったな、これ、懐かしいな、50円とか超えるともう高級品だったな…21歳の私はトイザらスに居場所がない代わりに駄菓子屋で値段を気にせずなんでも買えてしまうのだよ。と思いながらレジに並ぶ。なが〜いレシートの最後に示された合計金額は240円だった。

 


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サイコー。

 

さてショッピングモールを後にしてまた自転車を漕ぐ。と、どこかで道を渡りそこねてしまい線路から外れてしまった。さらに車線の右側だ。すぐ左に渡ろうと思っていたのにずいぶん長いこと横断歩道がなく、仕方ないので歩道に上がり自転車をのんびり押して歩く。右手にはひたすら柵。柵、って何だ。何が囲われているんだ、私の右手には何があるんだ、って、

 


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米軍基地か。

 

柵の内側が見えるようになったところで白人の家族がだだっぴろい敷地内を歩いている様子が見えた。その後なんとか左側の車線に渡れたのだが、確かに道を渡ってみるとこのあたりの店はどこかアメリカンである。バーガーショップ、英字の並んだバイク屋、スプレーアートがされた壁もある。面白い街だな、と思ったところでまた左に曲がると線路沿いの道に戻ることができた。

 

 

ここからしばらくは本当に只管線路沿いだ。只管線路沿いの道を走っていると、途中から目の前を私と全く同じように全身黒、ショートカットの女の子が走っていた。高校生くらいだろう。いつの間にか私の目の前にいたのでいつどこで合流したのか全く記憶にない。自転車まで同じ緑だ、が、彼女の自転車は買いたてのようにぴかぴかしていて私のはそれに比べると、薄汚れて、いる…うう、ごめんなててまる3号、明日ちゃんと綺麗にしてやるからな…

 

線路沿いの一本道をひたすら自転車を漕ぎ進めている人間は私と後ろ姿そっくりの彼女しかいないのでなんだか途中から不思議な気分になってきた。生き別れの妹だったりするのだろうか?このまま彼女の後をついていったら何が待っているんだろう。そう思うと目の前を走る彼女が今にも突然振り返り、慌ててブレーキをかける私に「お姉ちゃん、まだわからないの?私よ」などと言ってきそうな気がした。が、線路沿いにある似たような駅を3つほど過ぎたあたりで彼女を見失ってしまった。似たような駅3つのうちのどこかで住宅街に入り込んだのだろう。さようなら、妹よ。

 

 

もう15km以上走っている。随分疲れてきた。妹と別れてしまった寂しさからか、ててまる3号が話しかけてくるようになった。

 

いしおちゃん、そろそろ折り返して帰ることにしたほうがいいんじゃない?

そうかなあ…

おしり痛いでしょ。

痛いよ…

僕のサドル小さいのにいしおちゃんおしり大きいからね。

うるさいな、テヒョンさんだっておしり大きいし。

テヒョンってだあれ?

お前の名前の由来になったお兄さんだよ。

ふうん、どんな人?

優しくてめんどくさくて可愛い人。

 

 

また似たような駅が見えたので駐輪場(またも無料だ)にててまる3号を停めてコンビニに入る。冷たいカフェオレを1本買い、店の前の椅子ですぐに飲み干した。レジを担当したアルバイトの男の子は新入りらしく、先輩の女の子が後ろで手順を教えていた。男の子は少し不器用そうだったが、一生懸命に手順をこなしている。かわいいな。先輩の女の子も好きになってしまうかもしれない。いや、あるいは彼女も家では同性の恋人が3人待っているかもしれない。人は一見しただけじゃ何も分からないものですよ。

 

カフェオレを飲むときにマスクを外すと、風の中に砂と石と木と、どこかの家の夜ご飯の匂いが混ざっていた。私達はここ一年ほどで町がどんな匂いをしているか忘れているよなあ、と思う。

 

途中で脱いだ服を着込んでててまる3号を駐輪場から連れ出す。もっと休ませてもらえると思ったのだろう、彼は不満げにギィと音を立てる。

 

なに、本当にもう帰っちゃうの?

帰るよ。

何もしてないのに。今日は一体何したかったの?

一緒に散歩がしたかったんだよ。

ふうん。

 

 

という訳でまた来た道を戻る。帰りは一切寄り道をしなかった。ただ只管に音楽を聴きながら自転車を漕いだ。行きは自分でも思考を記録しようと思っていたのでときおり立ち止まってはメモをしながら進んでいたけど、帰りに誰に伝えるでも残すでもなくただぼんやりいろんなことを考えながら自転車を漕ぐのもまた楽しいことだった。公園で見かけたひとり皆から離れたところにいた黒人の男の子と、セックス・エデュケーションの撮影場所そっくりな車の廃棄場のことだけ妙に覚えている。適当に気に入った場所の写真を撮ったりした。これはそのへんの倉庫と花。


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なんつー地味な写真だ。

 

やれやれ、本当に何がしたかったんだろうな。私は今日、一体何をしたんだっけ?私は、今日……自転車を、漕いだ。とてもたくさん漕いだ。自転車に名前をつけて、知らない駅をたくさん見て、トイザらスにビビって、駄菓子を買って、知らない町の生活を眺めて、生き別れの妹に出会って、コンビニでカフェオレを買って帰った。その中でいろんなことをぼんやり考えていた。40km自転車を漕いだ。

 

 

 

うん、十分。

 

 

 

などという妙な達成感に包まれ、何度かここはどこかわかりまセンターに電話をかけてLOSTしながらも私は無事家に辿り着いた。ててまるにお疲れ様、と言うといや〜疲れたよ本当に…と心なしか朝よりもタイヤがやわらかくなっているように見える。ごめんごめん、またすぐ空気入れ直して油差してあげるからさ、懲りずにまた一緒に散歩しようよ。

 

 

ベッドに倒れ込む前にててまる1号と2号に手紙を書いた。中国はまだサイクリングには寒い?木星の町はどんな匂いがしますか?中国も木星もまだ見たことのない私にとってはひとしく遠かった。20km移動するだけで世界はまだまだ私の知らないことばかりだ。

 

 

世界は広いよ。今度はどこに行こうか?

 

 

 

 

 

 

社会と相性が悪い

課題が終わらない。


私の大学は元から課題の多さで有名なのですが、オンライン講義にあたり全てがバグった全ての教授が1.7倍課題を出しているので、課題が終わらない。毎日講義に加え平均3.4時間課題に費やしてもどうしても常に3〜6つ課題が溜まっている。永遠に終わらない。


課題が終わらないというのは、「やらなきゃいけないことが溜まっている」というのがめちゃくちゃしんどい特性を持つ私にとっては本当に…本当にしんどい。課題がたまっていくごとにどんどん深く沈められて身体が重くなり息ができなくなる、一つ課題をこなせば少し身体が軽くなるんだけどまた日々の授業で課題が増えると深海に引き戻されて心臓に圧力がかかり、どんどん息が苦しくなる、何をしていても、好きなアイドルを見ていても、友達と会話をしていても常に「ああ、私はするべきこともしていないのに」がつきまとって息が苦しくなる、

 

 

 

そういうことです。

 


そんな生活が続くとたまに私の大事にしているものが何から何までくだらないように思えてしまう。不器用で頭が悪くて気の利かない自分が部屋の隅で後生大事に必死に抱きかかえている真面目さとか正義感みたいなもの、深く考え込みすぎてしまうところ、数多くの私より優秀な人たちはそんなもの全く気にせずくだらないねと一笑してどんどん離れていっている気がする。私が悪いんだろうか。私が悪いんだろうか?何が?一人バカ素直に読めと言われた文献を1から10まで読んでいることが?自分が他人に課題やレポートの助けを求めるようなマネをすることが絶対に許せないことが?どれだけ大好きな人だとしても他人と当たり前に長時間一緒にいられずすぐに疲れてしまうことが?イベントが続くとすぐ一人になりたくなってしまうことが?何もかも言葉にしないと落ち着いていられないことが?そもそも発達障害なことが?注意欠陥障害のせいで出かける度に物を失くして常に意識的に気をつけていないと期限内に提出物を出すことができないことが?


私は本当に基本根明ポジティブ馬鹿なのですが多分それは人の倍鈍感ゆえに自分のキャパシティの小ささを自覚していないだけで、限界点を超えた瞬間「あっもう全部無理!」と投げ出してしまいそうで、それが一番怖い。私がくだらないと知りながらも大事に抱えてきたすべてを。


しかし私のその面倒なところは、他人にとっても社会にとっても何の関係もないことを知っている。本当に、何の関係も、ないのだ。それらすべては私一人の問題で、他人にも社会にもそれを慮る責任なんてない。私だって愛してもいない他人の問題を一緒になって抱え込むなんてできない。たぶん私は根本的な自己評価がすごく低くて、それでも、例えば料理や筋トレや課題やバイトをこなすことによって「駄目なりに頑張っている」ことによって自己肯定感を稼いでいる気がする。いわば行動に依存しているんだ。だから、ダラダラすることができない。他人に課題や仕事を頼ることができない。「元から駄目」な自分が「頑張ることをやめて」「ズルをしだしたら」、本当に自分で自分を受け入れられなくなってしまう気がするから。この自分で勝手に作り上げた謎のプレッシャーが重くて、少しの「やらなきゃいけないことが溜まっている」がバカみたいに重く感じられてしまう。

 


社会と相性が悪いのだ。私はたぶん少しだけ、社会と相性が悪い形に産まれてしまったのだ。

 


それでもレイバンのサングラスをかけながら友達と一緒にコロッケを揚げたりインターネットで人と話したり推しの動画や音楽に触れて、なんとか私は私の形のままやっています。それらはほんのその場しのぎかもしれないけれど、その場しのぎも繰り返せば人生になるしそうやって今のところ21年半は生きてこられているので、私はこれからも社会と相性が悪い形のまま自分なりの気晴らしを積み重ねてなんとかやっていくんでしょう。なんとかやっていくし、なんとかやっていくしかないことはわかっているので、これはただの愚痴です。

 

 

まあ長々と愚痴りましたがなんだかんだ全部大丈夫なんですよ、私には筋肉があるし……

 

社会、労働、稲垣足穂

 

最近家の中で私は毎日、料理や勉強や筋トレや読書やチェスをして過ごしている。健康で文化的な生活と言えるだろう。楽しいっちゃ楽しい。一緒に暮らす先輩もいるし。

 

ただやっぱり、違うんだよな。生活が堕落しないことに偉いなんて言ってくれる人もいるけど、勉強も筋トレも読書も私が、私の意思で、私のためにやっているだけのことだ。社会と繋がっていない。誰の役にも立っていない。

 

バイトに行きたいと強く思った。他人の、社会の役に立ちたいと思う。そうしなければこの孤立感からは抜け出せない。

 

 

12日、久しぶりにバイトのシフトに入った。居酒屋なのだが百合子のお達しにより閉店時間が早まったのに合わせて開店時間も前倒して12時である。なんじゃこれと思いながら出勤した12時。出勤即主任と会社の悪口を言って「…何する?」「何しましょう?」「てかLINEとかでも12時開店ですよーって広告しないんですね」「したところで客なんか来ねぇよ」「アハハ!」と会話をする。2時間なんとか暇を潰したところでお客さんが来た。人のために働けるのは嬉しい。ドリンクを作ったり、説明をしたり、料理を運んだり。ああ社会の歯車の一部になれている、と思う。日本人的なつまらない考え方なのかな…でもやっぱり自分は社会の中に在りたいしそう感じていたい。

 

お客さんが来たところで暇なので、まかないに使ったタルタルソースが100gあたり550kcalあることに気がついて主任と大爆笑しながらタルタルソースを飲んで「ワー!クソデブだ〜!」「はい今1キロ太った〜」とかやってたら今日のバイトの出勤時間が終わっていた。歯車の一部の割に社会をなめすぎている。

 

しかし3時間程度とはいえ社会の中にいられて気分が良い。

 

帰りに最寄りの駅前の古本屋で稲垣足穂一千一秒物語安部公房砂の女を買った。数日前から読み進めていた三四郎を読み終わったので(少し泣いてしまった、すごく好きだった)砂の女を手に取り、そのまま夜中までかけて一気に読み切ってしまった。明日からは稲垣足穂を読もう。次の日に継続する楽しみがあることは良い。私のこれからの数日は稲垣足穂によって繋がっている。この春はすることもないのでよく本を読んでいる。いずれ4月に読んだ本をまとめようと思う。

 

朝起きたら夢の中で大好きな推しに会えて、目が覚めたとき少し混乱した。彼が昔配信サイトで仕事について語るときの言葉をぼんやり思い出した。「仕事をしていないと人間がちょっと…だらしなくなる気がします」「仕事に集中できる理由は一つしかありません。食べて生きていくためです。仕事とはそういうものです」「給料日だけ見ながら走るんです。それで給料が入ったら1.2日はちょっと気分が良くなってそれで…また次の給料日に向かって走るんです」「多くの意味を付与する必要はないと思います」。すべて印象的だった。世界のトップアイドルが、億ションを買っている男が言うのである。アイドルらしからぬ言葉だ。私は彼のアイドルを真っ直ぐ仕事と思っているところが好きだ。仕事として正しく向き合っている。それが誠実なもんだから冷めているようには感じない。信用できる人間だと思う。勿論彼の場合、仕事のうちでも作詞作曲編曲というアイドルよりは「仕事」らしいともとれる部分が多くを占めているからかもしれない。

 

 

あなたの言う通りだった。社会の中で生きる人間が働くことに多くの意味を付与する必要はない。仕事をしないとだらしなくなる。食べて生きていくために給料日に向かって走るのだ。

自分より大事なもの

 

今年の夏、実家に帰った。わたしが産まれた頃の写真や、わたしが産まれる前の母の写真を見た。

母親を一人の他人として認識することはとても難しい。母は何であるよりも先にまず母であるからだ。だけど、写真の中の母は若くて、きれいで(今だってだいぶきれいだと思うけれど)、私に馴染みのない服を着ていて、ちなみにすごく太っていた。私の知らない友達と旅行に行っていたりしていた。


わたしは何かに縛られることが嫌いだ。好きなものしか、大事なものしか選びたくないし、関わっていたくないし、気が向いたらすべて投げ出して好きなように生きたいと思ってしまう。たぶん好きなように生きるということの意味もわからずに。


母とこれからどうしていくのかという話をした。祖父は入院していて、母は去年会社勤めを辞めて開業していて、わたしはもうすぐ21になり大学3年生になる。

母のこれからの話をしているとき、私は友達と話すときのように「自分が好きなようにしたらいいのに」と言った。私はもう20歳も超えているし、母がしたいことをするために今わたしが母にしてもらっていることが無くなったとしても、私はもう母を恨んだりしない覚悟ができていると思った。


「いつも貴女がそういう考え方をできるのは、まだ自分より大事なものが無いからだよ」というようなことを母は言った。それは怒っている様子ではなく、逆にとても優しい目をしていた。


私はそう聞いたとき何故か写真の中の母を思い出した。写真の中の母は私と関係のない他人だった。ある程度好きなようにしていたと思う。わたしが小学生の頃に母の箪笥の奥にあった肩パットの入ったブランド物の服、ミツコの香水、24金のアクセサリー、そういったものたちは母だけのためのものだった。母が自分で選んだ仕事で自分で働き自分で買った自分のためのものだった。今それらの一部はむかし私と生活をするために売られてしまっている。


私は「そうかもしれない」と答えた。今の私には正直自分より大事なものはない。私は自分を大事にしてくれるもののことしか大事にしていない。それは自分で選んだものだし、自分よりも大事とは言えないと思う。

だけど母は私のことを自分より大事に思っているのだ。多分、ほんとうに。そしてその頃から私と母はお互いに関係のない他人とは呼べない存在になってしまったのだと思う。


そのことに気付くのに私は21年近くかかってしまった。18年も一緒に暮らしてきたというのに。


私と母は全く似ていないし、体型も声もものの考え方も得意なことも苦手なこともなにからなにまで違う。狭い空間でずっと一緒にいると息が詰まることもある。だけど大事な存在だ。


いつか母のように自分より大事なものができたときのことが楽しみでもある。私がすっかり変わってしまうこと。そしてもしその相手に「自分が好きなようにしたらいいのに」と言われたらニヤニヤしながら「それはあなたにまだ自分より大事なものが無いからだよ」言ってやろう。

日曜の午後

 

日曜の午後が嫌いだ。用事がなくひとりで家にいる日曜の午後が嫌いだ。でもその日曜の午後は大抵、「そろそろ一人で家でゆっくりしたい」と自分で思って選んだ日曜の午後だ。私は休みの日はたいてい昼過ぎに起きるので日曜に午前は存在しない。

 


起きて暫くして何か食べられるものをつくる(家になかったら近くのスーパーに買いに行く)。ダラダラと読み飽きた漫画を読んだりTwitterを眺めたりしているが映画を観たりでかけたり勉強したりという気にはならない。時間の使い方がわからなくなってくる。食べ物を食べると身体が重くなる。またベッドに戻って眠る。流石に寝すぎては行けないと思って1時間程度でアラームをかける。

 


アラームの音で目が覚めて外が暗くなっていてようやく、ああまた日曜の午後にやられていると気が付く。暗い室内。私のベッドはロフトにあるので天井が近い。どこかで水が流れる音が聞こえる。なにかの機械がうなる音が聞こえる。それなのにこれ以上なく世界が静かに思える。初めて、家に一人でいると静かなのだという当たり前のことに気が付く。

 

そのあたりで私は寝返りを打つのにも飽きてベッドの上に腰掛けいつもは考えないようなことを考え出してしまう。日々の営みのすべてがくだらなくつまらないことのように思える。本当に好きなことだけしたいことだけ選び取ったら私はどんな生活をしていたんだろう?と考える。それは今すぐでも選び取ることができるような気がするのに、世界の在り方なんて私の認識ひとつでまるっきり変えられる気がするのに、結局日曜の午後が終わると私は何事もなかったかのように日々の営みを続ける。あまり好きではないかもしれない人のことも、あまり好きではないかもしれないなどと考えずに顔色を伺いコミュニケーションをとるそれらすべてを当たり前のようにこなしていく。

 


本当に自分が納得できることだけ選び取って生活していけたらいい。他人や楽な自分のキャラクターに合わせて無理に言葉を発したくない。落ち込んでいるときは一人で落ち込み続けたい。本当に観たくて観る映画だけ観たい。知らない本を読みたい。私は本当はこんな人間なんだと、中途半端な距離感にいる人達に躊躇いもなく伝えたい。大好きな友達に会いたい。一緒にテレビやドラマを観て笑い合いたい。誰のことも縛りたくないし誰にも縛られたくない。期待しないでほしい。何も背負わせないでほしい。そのすべてを誰にも知られたくない。誰も私に語りかけないで欲しい。本当は何も欲してなんかいないふりがしたい。

 

私は日曜の午後が嫌いだ。世界に本当に私一人きりになってしまったような気がする。そして多分、私はずっと本当に世界に一人きりだと思ってしまう。私はずっと何処にも属していなくて、日々の生活はその事実から目を背けるためだけに無意味に積み重ねられているもののような気がする。そして、何より、そんな考えに浸っているのが心地よいのが嫌になる。私は日曜の午後が嫌いだ。

正義感について

中学校に入ったばかりの私はスカートを短くすると先生に怒られた。
先輩は金髪の髪をかきあげ下着の見えそうなスカートでその先生の目の前を通り過ぎても何も言われなかった。
私は悔しかった。短くしていいのか、だめなのか、どちらかにしてほしかった。
私は先輩の姿を見てああこの学校は生徒の制服の着こなしにあまり口うるさくない方針なのだと思ってスカートを短くしただけなのだ。その後生徒手帳を見ると「スカートは膝の半分が隠れるくらい」と書いてあった。私は短いスカートで校庭を走り回る先輩達を見た。先生は「1年生なんだからそんなにスカートを短くするのはやめなさい」と私に言った。そのうち私が常に学年上位3位に入る成績を取り出すと誰も私のスカートの短さを注意しなくなった。

「女子の制服のスカートは1年生は短くしてはいけない」と書けば良いのだ。さらに「成績の優秀な者はスカートを短くして良い」とも。

私は今でも覚えている。
世の中はあまりに理不尽だ。

高校生活は楽しかった。私は私立の伝統ある女子校の特進コースへ進学した。規則は厳しかった。皆に厳しかった。私は膝を掠めるスカートの長さになんの不満もなかった。ある程度の偏差値が求められる場所だったので、クラスメイトは皆頭が良かった。勉強ができる、教養があるというだけでなく、人間という社会的な生物として能力が高かったと思う。行事で和を乱すような者も基本的におらず、真剣に向き合い泣き出す者もいた。楽しかった。私はすごく楽しかった。

せっかく進学した大学は2ヶ月で行かなくなってしまったが、次に受験するまで働いていた塾は楽しかった。今思うと、私は少しバイトとして正しくないくらい張り切っていたように思う。授業時間外に生徒の自習対応を何時間もしていたり。私は時折正しくなかった。それでも、楽しかったし、私に向き合ってくれる生徒や講師の仲間や上司がいた。それなりに講師の採用に厳しい塾で、大抵の講師の先生は私よりも偏差値の高い大学に通っていた。彼等もまたとても賢い人達なのだと思った。


つい最近、私は焼肉屋のホールスタッフとしてバイトを始めた。ある程度もともと得意だった勉強を続けるばかりのバイトばかりしていても狡いなと思った。私は多分接客業が苦手だろうと思ったのもあった。私は2回の出勤後ストレスに耐えられず電話一本でイタリアンレストランのバイトをやめたことがある。

店長は接客なので、やる気、元気、愛想でお願いします!とハリのある声で言った。姿勢が良かった。文化系の私が馬鹿にしがちなノリだが、確かに私も客なら焼肉屋のスタッフにはやる気、元気、愛想が欲しいなと思った。私は店長に好感を持った。

今日まで数回ホールに出ている。少しずつ仕事を覚えていくうちに私はまた中学のスカートのことを思い出してしまった。


バカなのだ。
多分私は根がバカなのだ。

私は根がバカだから、店長は愛想、元気、やる気で、常に明るいテンションでいてくださいと言っていたのに、私の何十倍も長く働いている先輩が下げた食器を厨房に出すときに呟くような声で雑にお願いしますと言うことや、規則にダメだと書いてあったはずのクロックスを履いていることが、どうしても納得できないのだ。

私は、多分皆よりも接客業が苦手で、ハンディも扱えない今は、一回バイトが終わった瞬間からもう次のバイトが入っている日のことが胸に重くのしかかっている。それでも、私は、声を出すことを諦めないし、メニューをコピーしたものを家で眺めたりハンディの画面を写真で撮って覚えようとしていたり、とにかく、笑顔を、絶やさないように、必死で、やって、いるのだ!!!!

いるのだ!!!!!

私が大した人間でないことは私自身が一番理解しているが、大した人間でない私がこれだけ悩んで勉強して改善しようとしているのに何故私よりも結果を出していないあなた達は疑問も持たず悩まず改善しようとせずのうのうと思考を停止しているのだ!?!?!?

そう思ってしまう。エゴだ。店長はホールにいる以上何があってもテンションは明るく一定でいて下さい、それができないなら帰ってくださいと言っていた。

何故だ。何故あの蚊の鳴くような声でお願いしますと言った彼女は帰らされていないのだ。

帰らされていないのならどうしてできないなら帰ってくださいなどと言ったのだ。

スカートと同じだ。どちらかにして欲しい。私は何を信じればいいんだ。
私だけが店長の言葉を真に受けているんだろうか。私がバカなんだろうか。ある程度でうまく器用に回ればそれで世の中はいいんだろうか。いいんだろう。

では私の中のクソみたいな正義感をバカという言葉で片付けなくてはいけないのか。


本気で向き合ってもらえないことは正直に言うと寂しい。本当に寂しい。仕事だろうが恋愛だろうが合唱コンクールだろうがスカートの丈だろうがなんだって同じだ。


自覚すらしてもらえないなんて。


私は多分本当にバカなので、もっと良くなりたいのだ。基本的にもっと良くなりたいと思っているのだ。なんならみんなでもっと良くなりたいのだ。良くなりたいだけなのだ。思考を停止しないで欲しい。塾講師でも、焼肉屋のホールスタッフでも、合唱曲の完成度でも、恋人との関係でも、みんなでもっと良くなりたいのだ。それでもきっとこんなことを考えている私だけが本当は不器用でバカで寂しくなるのだ。

 

あーあ


でも私この自分のクソみたいな正義感のこと嫌いになれないんだよな。

でも他人に押し付けるとエゴだしウザいし優しくないし。

勢いのままに書ききったから結びが思いつかねえ!人生って難しいね!(おわり)

ゆとりですがなにか

 

 

わたくし1999年に生まれました。

多分ゆとり世代です。

 


ゆとり世代の下のさとり世代なとと呼ばれることもあるそうですが、インターンをLINE1つで辞めたりするあたり、自分でもオッゆとってんな〜と思います。

 

 

 

あ〜面白かった!面白い!わたくし宮藤官九郎作品がすごく好きみたいです。ごめんね青春、3回くらい見返しているもんな。

 


ゆとりですがなにかの感想でもあり宮藤官九郎作品の感想でもあるんだけど。

 


完璧にかっこいい人が出てこないのがいいよね。かっこいいとこある人もどこかかっこ悪くて、でもかっこ悪いとこある人もちゃんとかっこよくて、全員がそう。マリブくんとかの役がそうなのかな、最初はぶっ飛んでて核心ついてくるかっこいい役かと思えば普通に不安定でダメなとこあるし。

 


あと、色んな事件が起こるわりに全部を一つ一つ丁寧に解決しないところ。すごくリアルだと思う。実際、生きてると色んな事件起きるけど全部が納得できる綺麗な着地点に行くことなんかなくて、新しい事件が起きてなんとなく忘れられてなあなあになったり、何も解決してないけどまあそれでよくね?になったり、解決されないまま問題のままなにも変わらずずっと続いていたり。坂間家兄夫婦の姑同居問題とかそうなのかな。

 


人間関係のいつのまにか誰と誰が仲良くなっていていつのまにかそれも忘れられていて結局元に戻ったり変化が馴染んだりひたすらカオスなところ。浮世、って感じで好きだ。基本的に一言で言うと人間をひたすら肯定していて、登場人物皆を気付いたら好きになってしまっている…というよりは愛してしまっているな。

 

 

 

特にこのカオスはゆとり世代だからとかもあるのかな。ゆとり世代、変化を恐れないみたいなところがある気がする。会社を辞めるとか(インターンを辞めるとか)(すみません)。自分の気分で選択することを厭わないというか、なんとなくの王道ルートに乗らなくてもさして焦りがないような。飄々としていて。受容。まあそんなこともあるよねえくらいの。自分のことなのでよく言っております。大体不景気とか言われてもこちとら物心ついた時から不景気とか言われてますから。景気の基準がわからんよ。麻生さんじゃないけどバブルとかそもそも知らないから夢見てないし。

 

 

 

守ってくれる何か(国とか会社とか)、過信してねーから!頼ってねーから!気分で行動するしかないでしょ!

 

 

 

という気分です。

 


でも弁当屋社長とか麻生さんとかみたいなこう 上司 上の世代の 50overの あの感情論というか熱苦しさ、憧れるところもあるんだよな。麻生さんの薔薇の花!フルコース!雨の中の叫ぶ告白!とか、アプローチ方法、完全に女を女としか、恋愛を恋愛としか見ていなくてこのご時世多分私たちの世代は各方面からうーんって声上がるのかもしれないけど結局素敵だし。泥仕事で培われた信頼関係も。

 

 

 

これは違うってものは淘汰しつつ遺せる良いものは遺していきたいな。結局次の文化を作り上げるのはその時代を生きる私達なのだし…

 

 

 

あと、最後まで私マリブくんの中国人の嫁のことだけはあまり好きになれなかったんですが、最終話手前で「なんだよ!日本ちょろいな!」ってニヤニヤ笑ってるとこで一気に好きになった。あれいい。早口で気が強くて狡猾で爆買いしにくる中国人(概念)の代表みたいな嫁、ありのまま肯定している…無駄なギャップとか出さず…

 

 

 

あとなんかあったっけ。とにかく人間を肯定してくれてて嬉しかったです。楽しい。ごめんね青春より好きかもしれないな〜!これ高校生よりは社会人の方が同調できるようになってきちまってるからかな〜!

 

 

 

よいドラマでした。

ドラマ、テレビで流すしその時代時代をいい感じにうつしてて、いいよね。