dear

大学生 そのとき書きたいことをそのまま

優しい人へ

1月の12日から15日まで帰省していた。高校の同窓会に出ることと、成人式を終えた友達の写真が撮りたくて。振袖なんかに回す金があるなら旅行に行きたいと思いそのぶんは貯金に回した私は成人式には出ない。全力で可愛くしてのかわいいかわいくない褒められた褒めてもらえなかったの応酬がすごく苦手なのだ。

 

12日の夜、家に着いてからすぐにシャワーを浴びて、着替えてメイクをして、高校の同窓会に行った。結婚式なども行う結構ちゃんとしたパーティー会場で。ドレスアップした女の子たちにおお華やかな、と思った。買ったばかりのモスグリーンのワンピースに真珠のピアスとネックレスをして、灰色のジャケットを羽織った。気に入っている。英語の先生には上から下までじろじろ眺められた後「あんた意外と地味だね」と言われた。地味で結構。私は今日の私のスタイルに納得している。友達が1番綺麗だよなんて言ってくれたので満面の笑みで返してしまった。

 

高校の時によく一緒にいて仲良くしていた友達は、皆私と共に東京に出てきている。今でも月に1度くらい会う。同窓会にいるのは皆卒業以来一度も会っていないような人達だ。

 


高校時代の私は毎日遅刻か欠席かどちらかをして、課題を出さず、寝てばかりいるような嫌なやつだったから、悪意を持っている人もいるだろうと思う。皆と仲がよかったり人の中心にいるようなタイプではない。私は、私とは違う、地元ではない国公立大学に行った友人に会いたかった。開始ギリギリの時間に会場に入ってきた彼女に思わず駆け寄っていた。

 


「1番会いたかったよ」
「私も1番会いたかった」

 


ふふ、と笑う。いちばん。狡い響きだ。同窓会で1番会いたかったと言い合うのなんてちょっと秘密の悪いことをしている気分。

 

彼女は出席番号が近かったのもあり席が近く、毎日(と言うか私が高校に行っている日は)一緒にお昼ご飯を食べ、数学の問題を共に解いた、清潔感あるすっきりとした顔と信じられないくらいすらりと美しい脚を持つ女の子だ。

 

周りの女子高生のように放課後カラオケやプリクラに一緒に行ったことはない。遊びに行ったことも、あったかな?教室に残って勉強していた帰りに買い物に行ったくらいだと思う。ただ、15歳から18歳の時期を長く一緒に過ごしているので、私にとって、高校の思い出は彼女と共にある。

 


高校の頃、気付いたらいつも違う男の子と付き合っていた私にどうやったら恋人なんてできるんだ、くそー、などと言っていた彼女も大学に入ってからもう2人目の恋人だと言う。クラスの卓に衝撃が走る。ああ、皆の脚だったのに、いやどうゆうことよ、あの…がねえ、人は変わってしまうんだなあ。

 


彼女は私と違ってなんとなく誰からも好かれていたのだ。

 


大学に入って数ヶ月経ったばかりの頃、彼女が一度電話をしてくれた。皆にはなんだかいえないんだけど、競技ダンスを始めたのだと言う。大学に入ってからすごく色んな人と出会った。両親と改めて合わないところに気がついた。等々。嬉しかった。楽しそうに大学のことを私に、話してくれるのが嬉しかった。とてもかわいいなと思った。素直なのだ。真面目なのだ。それはたいへんな美徳だ。

 


競技ダンスというものが私達田舎で育った人達に受け入れられるんだろうか、なんとなく言いにくい、というのは、少しわかる。彼女の出身地は私達の高校があった市よりもさらに田舎で、彼女は寮生だった。田舎の保守的な空気のことは私よりもわかっているだろう。

 

食事の最中に何かサークルとか入っているの?と聞かれた彼女が競技ダンスをやっている、と言って動画を見せると皆口々にかっこいい、すごい、なんだこれ、などと心からの感嘆の声を上げていた。私は隣でニヤニヤしてその光景を眺めていた。

 


同窓会が終わって、会場のロビーで彼女も含め数名で話していた。来月、大会があって東京に行くと云う。会いたい、話そう、もっと話したいことがたくさんある。そう言い残して彼女は帰っていった。

 

来月、私達は本当には会わないかも知れない。私達はお互い、きっと、それなりにお互いを特別に思っていて分かり合えている、けれどもこの2年間会わなかったのだから。

 

それでも東京に行くから会おうよ、本当に!と必死に言ってくれる。素直なのだ。抱きしめてしまいたかった。

 

 


さて14日。成人式を終える。夜、中学の同級生に飲みに行こうと呼び出された。後から男子も4人くるぜ、とも。正直4人のうち2人はまともに会話した記憶もなかったけれど、私達計7人は学年50人しかいない正規の中学の同窓会をつまんなさそうだとか嫌いな奴がいるだとかお金の無駄だとかとにかくそれぞれの理由で欠席している人たちで、まあなんとなく、親近感がある。

 

飲み屋で、男の子のうち1人が彼女と別れそうだという話をずっとしていた。

 

「クリスマスプレゼントにさあ、あっち看護学生で試験あるから大変だろうなと思って電気ブランケットと加湿器買ったわけよ」
「優しいじゃん」
「そうしたら私部屋に置くものには拘りあるからちょっと…って言われて」
「はあ?」
「友達に彼氏にクリスマス何もらったの?って言われてこんなの恥ずかしくて言えない、って言われた」
「なんだそれ何様よ」
「これ第1弾だよね?まさかプレゼントこれで終わりじゃないよね?って言うからヤケになって次の日1万のアクセサリー買ってあげたけどね」
「いやお前…」
「ホワイトデーも、手作りケーキとか憧れるって言うから朝から起きて作ったんだよ俺。なんだけどなんか微妙そうな顔してて…だから後でそういやGODIVAのチョコ食いたがってたなと思ってあげたの。そしたらこんな食べ物ばっか貰っても、インスタにあげても微妙じゃない?って言われて。あと俺今日誕生日だけど何も祝って貰ってねえな」
「「「「「「別れな?」」」」」」

 


とても悲しい話だ。

 

二次会でカラオケに移動するときもタクシー代を全て出してくれていた。場を盛り上げるために身体を張って声を張り上げ、酒を飲み、踊り、場を回していた。才能があると思う。よく通る声をしている。話がうまい。よく周りを見ている。気が効く。ウザいウザい、なんて言われながらも皆彼のおかげで楽しい空気に酔っていた。私にはできない。

 


すげーいいやつだよ。お前。なんでそんなお前の良さをわかってくれない女の子に振り回されちゃってんだよ。

 


カラオケは4時まで続き、皆とても疲れておかしくなっていた。とりあえず手を上げて振って跳ねて叫んでいた。帰り、私は彼と同じ方向だったので2人でタクシーに乗った。私達2人だけはあまり酔っていなかった。


「お疲れ様。本当にありがとうね今日」
「全然。俺はいじられる役でいるのが1番楽なんだよ」
「それは勝手だけど、自分を大事にしてくれない人と一緒にいてもこっちだけ削られるだだよ。せっかくいい男なんだから、絶対」
「いいこといってくれるね…昔から相談乗って貰ってばっかだったなそういや」


俺はお前みたいに器用になりたかったよ。


彼がそう呟いた。

私は器用なんだろうか。


私は、

そうやって皆に楽しい空気を提供できるところも自分にしっかりと愛を与えてくれるともわからない相手でも悪口1つ言わず大事にしてしまうところも自分の身を考えずまず他人のために行動してしまうところもワンチャンない女の子にも平等に優しく接することのできるところも、貴方の方が余程優れた人間だと思っている。


言わんけど。


時折自分は実はすごく嫌なやつなんじゃないかと思うことがある。傲慢なのだ。優しくないのだ。真面目さも素直さも私の憧れるものだ。それなのに当人達はその不器用さを悔いこんな私なんかを評価してくれる。

 

違うんだよこんなの、と叫びたくなる。ちょっと斜に構えているだけだ。そりゃあ本心からこうあろうと信念を持っているところも多少はあるけれど、何が本当かなんて自分じゃ何もわかっちゃいない。

 

好きだから、何かしてあげたいから、そんなシンプルな根拠で動いてしまう貴方達の方が余程尊いのに。

 


正直者が馬鹿を見る、でもないけど彼等がなんだかんだいつも損をしているのだ。ちょっと計算高くて狡い奴が憧れられてモテて出世するのだ。


声を大にして言いたい。この世に貴方達のことを本当に嫌っている人は1人もいないのだと。いじられ役に回り、見下されるようなことすらあっても、絶対に皆心のどこかで感謝していて嫌えない。絶対に分かっている。他人から悪意を向けられたことのないというのがどれだけすごいことか、と優しくない私は思う。


絶対言わんけど。

 

悔しいからね。私は私で、嫌な奴だな、と嫌っている人もいるだろう分本当に私を特別に好いてくれる人もいるので。そう変えられない性質だと思う。万人に好かれるような人間にはなれない。それはそれでいいと思っている部分もある。ただ憧れている。

 

素直で真面目でとても優しい貴方達のことが私は本当に好きだ。

私達は空を見上げない

くすんでいる。


住みよいくせに若者の欲望の、基本的なところと、そこより少しニッチなところだけを満たしている街。メジャーな、だけど、基本的なところよりは楽しみたくない?は満たされない。

 

ここは私のための街だと思った瞬間にその街は私のものになる。

 

私達は空を見上げない。空を見上げない私達は、工事をしている南口を、「なんだか最近白い壁に覆われている狭いところ」としか思えない。圧迫感。この駅前も住んで一年近く経つと真新しさなど何もない。心惹かれるものも。知らない街で見る知らない景色のように。

 


くすんでいる。

 


初めて歩いたこの街はなんだかきらきらと輝いて私を歓迎していた。私のものになってしまったこの街は輝いていない。

 


駅を出て1分と経たない。銀行の隣のコーヒーチェーン店。二階。螺旋階段を登る。喫煙席は窓に面している。

 

 

玩具の積み木のようだった。

 


空中にむきだしの木材が、階段状にぽっかりとある。その上に人がいてなにかを運んでいる。高い。目線を下げると工事中の白い壁の囲いの中だった。壁よりもずっと高くその木材は積み上がっていて、不思議と幼稚園の頃に見た聖書の挿絵を思い出した。バベルの塔だ。人がなにかを高く作り上げているところをわたしは俯瞰して見ている。神のように。


私達は空を見上げない。地の上の情報に追われて手一杯だ、だけど、少し視線を上げると思ったよりも世界は三次元的につくられていて、ひょっとして私の価値観ってつまらない?と思う。


心がわくっと動いた。


なにかを作ったり考えたりすることは今よりも少し、世界を広げることにあたる。ような気がする。詳しくなんか知るか。私は空を見上げるんだよ。

2018年に行ったライブ


今年は2つライブに行った。


1つめはほぼ1年前になるのかな、2月のことだったと思う。the xxのワールドツアー、in幕張。ものすごい衝撃でその熱を勢いのままに書き留めて一度ブログに載せたんだけど、今はもう消してしまった。当時の人と別れてしまったから。勿体無いな。今も覚えているところだけ、書き起こしてみようと思う。


とにかく生まれて初めて生でめちゃくちゃに質の高い音楽を目の前にしてひたすら圧倒されていた。少ない音数、和音のひとつひとつがえっそんなところ突いてきちゃうの?と、今まで知らなかった自分の性感帯を探り当てられた感じ。ボーカル2人の声がそれぞれそりゃあもうひたすらに良くて、聴いているだけで頭がぼうっとする。会場のライトもスモークも、妖しい雰囲気を醸し出していて、こういうの、なんていうんだろう。


フェティッシュ


その音楽とライブ会場の世界観がなんだか心の奥底がザワザワして落ち着かなくて、こんな世界に向き合ったら大変なことになる、そう思う。もう戻れなくなってしまう、今まで大事にしてきた価値観、考え、人間関係、全部投げ捨ててしまいそうになるような。あのライブそのものが、セックスのメタファーに感じるほどに異常で、特別で、そりゃあもうどエロかった。


またthe xxのライブに行くんだろうか。行って、私は大丈夫なんだろうか。これからもまともに生きていけるだろうか?

 


さてもう一つは欅坂46の屋外ライブ、欅共和国2018。全く違ったよさがある。

noteの方にどれだけ平手友梨奈ちゃんが堪らなく特別な女の子か、みたいな記事を載せたんだけど時間が経てばまた見えてくるものもあるだろうし。こちらも今思うところを書き起こしてみます。


若くて、細くて、可愛い女の子達。本来なら守られなきゃいけない側なのにそんな彼女達が全身全霊で全力で踊って歌って必死に曲を伝えている。誰かが本当に本気で何かをしているところって、そうそう見られるものじゃない。胸を打たれない訳がない。

スクリーンに平手友梨奈ちゃんが映るたびにそのあまりの美しさに泣きそうになった。溢れてくる感情をなんとか発散したいのに言葉なんてなにも出てこなくて、「あーっ、あー…あー…」ってずっと行っていたと思う。キモオタだなこりゃ。本当にあーくらいしか言えない。美しすぎて危うい。こんなに眺めていていいのかと思う。この女の子をこんな消費の仕方をしてしまっていいのだろうかと思う。きっ、と顔を上げた瞬間の彼女を見て、圧倒的にこりゃ敵わないなと思った。その一瞬を味わえただけでもう十分だった。本当になんでもいいよもう。手が届かない。態度が悪い。中二病。いやもう本当にどうでもいい。どうなろうと、何を語らなくても、私の中で彼女は十二分に特別な存在で、本当にただそれだけが全てだった。そう思える瞬間だった。

 

ライブって、本当にいい。生でしか味わえない圧倒的な瞬間を味わえる。普段の生活では気付けない自分の奥底の重くて深くてめちゃくちゃな感情を引きずり出される。


来年も素敵なライブに行けますように。

Advent

アドベント待降節。クリスマス4週間前の日曜日からクリスマスイブまでを指す。

 

クリスマスを待ちわびる期間だ。何かを待っている期間は楽しい。そういや日本にももういくつ寝るとお正月という歌があるななんて思い出す。

 


アドベントを楽しむイベントも幾つかあって。

 

まず、アドベントキャンドルというものがある。クリスマスリースのようなものの円周上に4つ、キャンドルを置く。そして日曜日が来る度に灯をともす。4つ全てのキャンドルに灯がともるとさあ待ちわびたクリスマス、というわけだ。むかしむかし孤児院かどこかで、毎日のようにねえクリスマスはまだ?あと何日?と聞いてくる子供にタイヤの上に4つローソクを置いて日曜日が来る度にカウントダウン。それが起源だとドイツ語の教授が話していた。正確な話かは分からないけど私はこの話が好きだった。なんだか可愛らしくて。

 

ドイツの、というか、本場のクリスマスはアドベント期間がメインといってもいいくらいだそうだ。街並みのライトアップや店々の飾り付けは24日までで、25日には綺麗さっぱりいつも通りになっていたりするらしい。

 


まあ何事も楽しみにしている期間が1番楽しいよね。

 


アドベントイベント(韻?)、アドベントカレンダーというものもある。カレンダーに小窓がついていて開けるとちょっとしたお菓子が入っていたりして、それを開けるのを、クリスマスまで1日ずつ近づいているのを毎日楽しみに過ごすわけだ。なんかこれも可愛いな。

 


アドベントカレンダーで思い出す話を一つ。

 


私の通っていた高校はプロテスタント教育に基づいていて。2年前、高校3年生の12月の私は、というかクラスの私達は、毎日のように夜遅くまで教室に残ってひたすら受験勉強をしていた。次々に更新される推薦組の楽しそうなInstagramの投稿とか、早々とメイクをして学校を去る友達を羨まないよう必死だった。大丈夫、受験が終われば、大学に受かれば、私達には楽しい生活が待っているから。そう思って。

 


そんな私達のために担任の先生が教室の隅にアドベントカレンダーを置いてくれた。

 


辛口で嫌味ばかり言う担任だったけど、最後まで残って勉強してたやつは食べてっていいぞなんて言って。扉を開けるとちょっとしたチョコレートなんかが入っていて、いそいそと1日1日のカレンダーの窓にお菓子を詰めている担任を想像して嬉しくなった。

 


あーあれ嬉しかったな。久しぶりに思い出した。

 


「何か楽しみがあること」って、いい。すごくいい。大仰な言い方だけど、今を頑張れる糧になる。ドイツの人達はクリスマスの何を楽しみにしているんだろう?当日にはライトアップもキャンドルも何もないのにね。

 

きっと私達は何もなしにその日を生きられるほど強くはないから、まだ来ない何かを楽しみに、なんとか今日を生きてるんじゃないかと思う。週末に友達と会えるなあでも、卒業旅行したいなあでも、いつか素敵な人に巡り合って幸せな家庭をでも、なんでもいいんだけど。

 


ちょっとイベントが苦手だった。
何か特別なことをしなきゃいけない焦燥感に追われるから。

 


「うわ、来週クリスマスじゃないっすか!やったー!」
「なんか予定あんの?」
「別にないっすけど…普通に今日と同じように塾来るし、あっ、そうだ俺来週なんかお菓子買って来ますね!」

 

男子高校生の生徒が無邪気に話していた。ああもう私お前のことすげー好きだよ。

なんか特別なことをするから、じゃなくてその日がなんか特別だから、イベントなんだよな。イエスも優しいしそんな祝い方で愛してくれるでしょう。

 


良いクリスマスを!

名古屋

地理が苦手な私は関西と近畿と中部の見分けがつかない。
やっと、愛知や岐阜は関西と呼ばれないことを知った。葬式を終えた私は残りの夏休みを利用して3日ほど1人名古屋に残ろうと思った。もともと1人で知らない土地にいるのが好きなのだ。


父の車で名古屋まで送ってもらった。小一時間ほど。車の中では最近のアニメや映画といった当たり障りのない話をしていた。あまり自分のことを多く語らない父だけどこうして話すとなんだかんだ似たような音楽を聴いて似たような映画を気に入っている。家にいても帰ってきた途端に自分の部屋に上がってしまうところも、まあ親子なのだな、と思うところである。


大学や私生活のことを聞いてこないところが好きだ。きっと、父親としての義務を果たしていない自覚はあるから口出す資格がないと思っているのだろう。今でも不思議な距離感である、いつまで彼はたまに会いに来るヘラヘラしたおっさんなのだろうか。


名古屋の店を教えてほしいと言うとスガキヤに連れて行ってくれた。ここを知らなきゃ名古屋を知ったとは言えない、と。320円のラーメン、いやいや安すぎだろう。夜ご飯は夜ご飯で1人で食べたかった私のために父が頼んでくれたのを一口貰う。美味しかった。ふざけた形をしたスプーンも、よかった。クリームぜんざいは甘すぎた。本当に独自の食文化が出来上がっている。

 


名古屋は父と母が出会った街だ。

 

 

ホテルで降ろしてもらい父と別れた。チェックインして暫く部屋に1人でいると誰かと話したくなった。インターネットともだちに名古屋の人がいたので彼と飲みに行くことにした。名古屋駅東口、金時計の下で待ち合わせた彼は名古屋大学の医学部生だと言う。エリートじゃないですか、というとやんわり否定された。随分と物腰が柔らかい人だと好感を持った。


名古屋料理が美味しいという居酒屋に連れて行ってくれた。手羽先、ひきずり鍋、ひつまぶし、片っ端から名古屋料理を頼む。彼と話すうち同じ塾で塾講師をしていることがわかって話が盛り上がった。教えてるともう一度受験したくなるよね、とか、社員のここが酷い、とか。医学部生の意外にリアルな話も聞けた。実習で看護師に酷い対応をされると言っていた。母は看護師をしていたこともあったので、うーん確かに医者はクソしかいないなんて母が話していたなと苦笑したり。


「最初は目の前で苦しんでいる人がいた時何もできないでいるのが嫌で、それだけで医者になろうと思ったんだ」
「素敵じゃないですか」
「でも作業のように知識を詰めてるばっかりで、本当にやり甲斐があるのかわからなくなってきた。友達と何歳で医者を辞めるかばっかり話してるよ」
「じゃあ今何がやりたいんですか?」
「本当はカフェとか開くのが1番いいよね。珈琲を丁寧に入れて、それをお客さんが美味しいって飲んでくれたらそれで十分でしょう。努力と、見返りの距離が近い仕事っていいなあって思う」

 

それもそうだと思った。


社会で生きること、歯車の一部になると自分の仕事が他人に与える影響を直に感じることが難しくなるのかもしれない。だから塾講師はやめられない、というところで意見が一致した。自分の説明で、授業で、生徒がわかった!と顔を綻ばせること。模試の成績を笑顔で持って来る瞬間、合格の喜びを一緒に共有できること。努力と見返りの距離が近い。私が勢いのまま辞めてしまったインターンは只管記事を書いて投稿するだけだった。コメントもない。何10万人という閲覧数がついたところで、本当に彼等の生活を何か変えたのか、という証拠になるレスポンスは何もない。

 


やっぱり人と繋がっていないと続けられないのだろうか?

 


1人になりたいと思って名古屋に来たのに名古屋の街を歩きながら考えるのは東京にいる人達の事ばかりだった。土地を変えたところで私は変われないので、考えることは結局どこにいても同じなのだ。次の日、1人で大須を歩いた。少し有名なカフェやレストランに入る。古着屋を巡る。素敵なお店がたくさんあった。薄緑色のパンツを試着したお店で仲良くなった店員のお兄さんに勧められるまま白のブラウスも買ってしまった。彼は普段東京の青山にある古着屋で働いていると言う。繋がっている、と思った。彼に教えてもらった大須のお店を片っ端から歩いた。何処も素敵だった。タイ人の男の人にナンパされた。私の好きなアイドルが生まれた。いいな、名古屋。いい街だ。

 

 


次の日に昼から友達に2人会った。2人とも、このあたり出身で5年前にインターネットで知り合った。女の子の方は東京の、男の子は関西の大学に通っている。女の子は東京で会ったことがあるけど男の子は初対面だった。5年間、インターネットで生活の様子を見守っていたので初めて会っても初めて会った気がしない。時代かなぁ。

 

大学生活なりの話をしながら、2人に食べたかった味噌煮込みうどんに付き合って貰った。ううん、味が、濃い。おいしい。名古屋コーチンというらしい鶏肉はとてもおいしい。うどんはすごく弾力があって、固めだ。おいしい。けどやっぱり味が濃い。北海道育ちの私とは全く味覚が違うんだろうな。

 

髪を切りに行くという女の子と別れて男の子と2人駅の近くのデパートで服を見ていた。適当な話をしながら。自分が選んだり勧めた服を気に入ってくれるのは嬉しい。とても。途中同じ大学に通う2人と同郷の友達も1人混ざって、髪を切ってきた女の子も戻ってきて、4人でカフェに入って色々な話をした。高校の時のこと、いい女とは、とか、最近聴いている音楽のこと。

 

髪を切ってきた女の子はとても可愛くなっていた。男の子が自然と、似合っとるな、と優しい声で言っていたのをとても覚えている。ちょっと、キュンときてしまった。女の子の容姿を優しい声で褒めることができる男の子はすごく、いい。その子が帰った後も少し3人で話をした。2人とも私の知らない音楽を聴いて本を沢山読んでいた。いいな。本、ゆっくり読んでないな。残りの夏休みで読めるかな。

 


2人と別れホテルに戻った。3泊目ともなるともう家のような安心感がある。駅前も大体の道がわかるようになっている、けれど、まあ、なんか違うよな。

部屋のゴミを片付けた。冷蔵庫にあるものを、食べるものと捨てるものに分ける。お気に入りのインスト曲を流す。昨日買った服も着ちゃう。お酒を飲んで機嫌が良いので部屋の中をぐるぐる回っていた。

 

 

 

さて、東京に帰ろう。
私の大事なものがあるのはここじゃない。

窓を開ける

今の家に越してきて2ヶ月半になります。

 

新築で白を基調としたシンプルなデザインも、3階建てのような構造も、ロフトへ続く階段が夜には光ることも、少し壁が薄くて隣の部屋から早口の中国語が毎晩聞こえてくるところも、なかなかに気に入っている。なかなかに気に入ってはいるのだが、

 

日当たりは悪い。

 

悪いというか、ない。

 

リビングにいてもロフトに登っても窓から一筋も陽の光は入ってきません。朝起きて着替えて顔を洗ってメイクをして、朝ごはんを食べてよっしゃ出るぞ、とドアを開けて初めてその日の天気の良さに気付くような。

 

東京に出てから一年と少し、外で洗濯物を干したこともなく。今の家は鉄のワイヤーみたいなものを壁から引き伸ばして洗濯物をかけることができて、それはそれでまあ楽しくて気に入ってはいるんだけどやっぱり人間はどこか本能で太陽の光を求めるものなのよねきっと。

 

カーテンを開けても、磨りガラスの向こうは何も見えない。もう窓は壁の一部のようになっていて、毎朝毎夜のカーテンの開け閉めに意味があるのかなんて思い始めていた頃です。

 

今日、初めて窓を開けた。

 

窓から身を乗り出すと空が見えて、うわっ空だ!と叫びたくなった。私は2階に住んでいるので家の周りの少しの景色を見渡せる。ふと目を横にやると風にはためく洗濯物が目に入った。

 

洗濯物?

 

慌てて下の階も覗くと私以外の部屋ではみんな洗濯物を外に干していた。窓を開けるとちゃんと洗濯物を干すための竿がつけられていて、私だけが2ヶ月ひたすら部屋干しを繰り返していたのだ。

 

洗濯物、外に干せたのか……!!!!!

 

なんだかすごく損した気分になった。同時に自分の部屋が突然開放的な場所に思えて嬉しくもなった。私の部屋はちゃんと外と繋がっている。

 

窓をひとつ開けただけで向かいの家の2階にテラスがあって色々な植物を育てていることや、部屋のソファーに座りながら風を感じたり家の前の道を走る子供の声を聞けることに気付けるらしい。

 

 

窓、すごい。窓は開けるものだ。

 

おわる


私は来年10代を終え、その約1ヶ月後に平成が終わるらしい。

 

変化。

 

変化すると物事は名前が変わる。天皇が変われば元号が変わる。1年生きるごとに名乗る年齢が変わる。曇り空が雨になるように、蕾が花になるように、あらゆる物事は絶えず変化を繰り返す。

 


友達に連れられて地下アイドルのライブを観に行ったことがある。友達の好きな子が見られる最後のライブだったということで、ライブハウスを出て渋谷駅に着くまで、ずっと泣きじゃくる友達を笑いながら宥めていた。道行く人に振り返られてもただただその子にもう会えないことが悲しくて悲しくて堪らなかったんだろう、ひたすらに涙を落とす友達を愛しく思った。哀しくもなった。

 

もう終わりが来てしまうんだ、変わってしまうんだと自覚した時のつらさったらない。3人グループだったあのグループは、1人がいなくなっても続いていくけれど、もう彼女が居た頃とは違っているんだ。

 

3人のそのグループがすごく好きだったんだよ、と何度も友達が言っていた。わかるよ。残った2人がだめなんじゃない、でも、あの3人だったからこんなに、救われて大好きで堪らなくて泣きじゃくるほどになれたんだろう。

 


最近、Twitterで件のグループに2人新メンバーが入ったというツイートが回って来た。

 

勿論かわいらしい女の子なんだけど、グループ名が友達の好きな女の子がいた頃と変わってしまっていたことがなんだか悲しかった。メンバーのTwitterのページにはex:の後ろに私と彼女が見た3人の頃の、グループ名があった。


新しいグループ名でどんどん更新される情報に、画像に、ああ、こうやって変わっていくんだなあと少しずつ納得していってしまう自分がいた。そりゃあ、3人だった頃のグループとは変わってしまったんだ。名前を変える方が正しいのかもしれない。新メンバーに惹かれている友達もいる。きっとその新しいグループも、どんどん馴染んできて、いつか前のグループのことなんて忘れてしまう人も出てくるんだろう。

 


変化。

 

 

何かがおわる。いつまでも終わってはいられないので、おわったものを受け入れて、さあ新しいものについて考えなくちゃ。

 


人は結局慣れる生き物だから、忘れる生き物だから、こんなに発展してきたのだろう。適応。辛くて辛くて堪らない、そんなままの気持ちでいつまでも居たらそりゃあ生きてなんていけない。変化した後の状況にも希望を見出すこと。前に進もうとすること。

 

 

それでも過去に愛したものを忘れずにいたい。何かを遺したい。そういうところで、私は歴史が好きなんだと思う。どこかの合戦で流れた血も、世を変えようと散っていった若い命も、他国に自国を踏み荒らされる悔しさも、私がこの世に誕生した瞬間も、愛した誰かも、本当にあったことなんだ。

 

 

たくさんの涙と怒りと諦めと葛藤と喜びと楽しさと興奮と愛情の上に今私は立っている。

 

 

過去を囚われるものじゃなく、
慈しむものになれるように。繰り返される変化に戸惑いながらも、なんとか生きていこうと思う。