dear

大学生 そのとき書きたいことをそのまま

東京近辺を歩く 浅草

浅草!

 


よく日本に来た外国人がインタービューされている、というイメージの街だ。確かに日本語の2倍くらい外国語が聞こえてきた。たくさん人がいるのに、ひとりひとりがとても楽しそうないい顔をしていて、圧迫感がない。観光地はそこが好きだと思う。

 

雷門の大きさにめちゃくちゃテンションが上がって、提灯の裏の龍のかっこよさに惚れ惚れした。ちょっといい写真を撮ろうとしたのだけど人混みに押されてピントがしっかりと合わなかった、残念。

 

 

雷門を抜けた通りには雷おこしだとか人形焼きだとか浅草の名物が売っていて、2つとも全く知らないことを驚かれた。小さな人形焼きが袋にぽこぽこと詰められていくのがなんだか可愛かった。1つだけ買って、食べた。美味しい。あったかくて、なんだか味も可愛かった。濡れおかきの串も食べた。おかきなのになんで濡らしちゃったの…?とわざとエロく言ったら怒られた。モチモチしていて美味しかった。揚げ饅頭も食べた。これがもうとんでもない美味しさで、どう美味しいかの描写なんて何もできなくて、2人して美味しい〜とだけ言い合ってひたすらニヤニヤしながら食べた。こんなに美味しくてカロリーの化け物みたいな食べ物が世に出回ったら日本の平均寿命は10年くらい縮まりそうだけど、でも多分これは屋台でおばちゃんから受け取ってその場で食べるからこその味で、まだ日本の未来は守られている。

 

いろんな食べ物やお土産が並ぶお店を眺めながら歩いていたら浅草寺に着いた。お寺の前に御神籤があったのでひとつ引いてみると吉と出ていた。日本語で金運とか待ち人とか、いろんなジャンルを一通り解説した下に同じものが英語と中国語でも書いてある。英語を見ると同じおみくじな筈なのにちょっと違うことが書いてあって、なんだこれ、同じ吉でも引く人の国籍によって中身が違うの?なんて話した。お線香のいい匂いにつられてひとつ、大香炉(と後で調べたら言うらしい、大きな線香立てのようなもの)に刺した。大香炉の周りには人があつまって手をかざしたりしていて、30度近い夏日なのに冬に親戚と集まって暖をとっているみたいでなんだかほっこりしてしまった。

 


お寺というものの中はいつも少しだけ涼しい。

 

 

天井の真ん中に大きく龍が、その左右に天女のような絵が描かれていた。賽銭箱の奥にある本像?があるところなのかな、とても煌びやかで中学校の修学旅行で行った中尊寺金色堂を思い出した。浅草寺から雷門の方を振り返ると、わお、と声が出そうになった。通りがずっと続いていて、人が行き交っていて、声を掛け合っていて、あー、なんだかいいなこれ。ここを通って来たんだな。

 

いろいろとご飯屋さんのあるような通りを歩いて、結局蕎麦屋さんに入った。実は蕎麦のことはちょこっと好きだ。麺を小さい器に入れて啜るのが好きだ。あの器の形が、なんだか可愛くていい。器を手に持って食べる麺はあまりないから、多分そこが好きなんだと思う。今のところ山葵がすごく苦手なのだけど、蕎麦を食べる時にだけ何故か食べられる。いい香りだ〜なんて普通に思っちゃう。蕎麦パワー?


少し歩いたところにある浅草演芸ホールに行って落語を聴いた。聞いたというより、聴いた、という感じ。人の話す声が好きで高校の時はアナウンス部みたいなものに入っていて、まあ私は北海道大会止まりで全国に行くことはなかったのだけど、イントネーションとか抑揚とかを少しだけ気をつけて習っていたことがあったのですごく心地よかった。リズムや強弱があって、音楽みたいだ。


噺家さんはみんなすごく素敵な声をしていた。落語の笑いにはどこか他人のことを弄っていたとしても常に暖かみがあって、気持ちよく声を出して笑った。後ろめたさや罪悪感のないすっきりとした笑いだった。若い噺家さんが2人くらい出ていて、いつかニュースで今落語がすごく若者に流行っていると言っていたのは本当なのかなと改めて思った。助けてとしか言えない今にも死にそうなおじいちゃんたちのひどい漫才とか雑なコントも混ざっていて、涙が出るくらい笑った。すごくいい時間だった。また行きたい。

 

20分ほど歩いてスカイツリーに着いた。真下から見上げたスカイツリーは本当に日本一の高さなのかなかなかピンとこなくて、何これ本当に634mもあんの、200mくらいしかないんじゃない?そう思っていたけど実際にエレベーターに乗って350mの高さから東京の街を見下ろすと全く、申し訳ない。こりゃ大変だ。いちめんに広がる夜景は、なんだかあまりに沢山のものを一度に見すぎてしまっていて何が何だかわからなかった。地上で過ごしているときにいつも目に入っている景色の、何百倍何千倍、何万倍なのだ。訳がわからない。


人間は人権という考え方を手にした時、奴隷制絶対王政の下で生まれたピラミッドのような圧倒的芸術を失ってしまったんじゃないか、みたいな話をしたことがあった。「ピラミッドはもう作れないかもしれないけど、人間はこうなったんだよ」と言われる。眼前に広がる無数の光のひとつひとつが家だったり車だったり会社のオフィスだったりして、そのひとつひとつに人の営みがあって、感情の動きがあって、生きている。道路とそこを走る車の明かりはとても高いところから見るとゆっくりと流れる血管と血球のようで、確かにそれは人や物や情報や感情をどこかへ運んでいた。その繋がりで街は動いている。ひとつの生き物のように見えた東京の夜景は、ピラミッドよりすごいかもしれない。

 

浅草の町で長い時間この町の人に愛されて来た建物だったり食事だったり文化だったり、そんなものを堪能した後に最新の建築技術で建てられた建物からドーンと今の街を一望してしまうと、なんだか不思議な気分だった。町は続いて行くんだなあと思った。たくさんの人が関わって、繋がって、亡くなって、生まれて、続いていく。町は形を変えながらそれを見守っている。出かけることは楽しい。行ったことのない土地に行くのは堪らなく楽しい。また何処か素敵な場所に行くことがあったらこうして、忘れないように書き留めておきたい。