dear

大学生 そのとき書きたいことをそのまま

おわる


私は来年10代を終え、その約1ヶ月後に平成が終わるらしい。

 

変化。

 

変化すると物事は名前が変わる。天皇が変われば元号が変わる。1年生きるごとに名乗る年齢が変わる。曇り空が雨になるように、蕾が花になるように、あらゆる物事は絶えず変化を繰り返す。

 


友達に連れられて地下アイドルのライブを観に行ったことがある。友達の好きな子が見られる最後のライブだったということで、ライブハウスを出て渋谷駅に着くまで、ずっと泣きじゃくる友達を笑いながら宥めていた。道行く人に振り返られてもただただその子にもう会えないことが悲しくて悲しくて堪らなかったんだろう、ひたすらに涙を落とす友達を愛しく思った。哀しくもなった。

 

もう終わりが来てしまうんだ、変わってしまうんだと自覚した時のつらさったらない。3人グループだったあのグループは、1人がいなくなっても続いていくけれど、もう彼女が居た頃とは違っているんだ。

 

3人のそのグループがすごく好きだったんだよ、と何度も友達が言っていた。わかるよ。残った2人がだめなんじゃない、でも、あの3人だったからこんなに、救われて大好きで堪らなくて泣きじゃくるほどになれたんだろう。

 


最近、Twitterで件のグループに2人新メンバーが入ったというツイートが回って来た。

 

勿論かわいらしい女の子なんだけど、グループ名が友達の好きな女の子がいた頃と変わってしまっていたことがなんだか悲しかった。メンバーのTwitterのページにはex:の後ろに私と彼女が見た3人の頃の、グループ名があった。


新しいグループ名でどんどん更新される情報に、画像に、ああ、こうやって変わっていくんだなあと少しずつ納得していってしまう自分がいた。そりゃあ、3人だった頃のグループとは変わってしまったんだ。名前を変える方が正しいのかもしれない。新メンバーに惹かれている友達もいる。きっとその新しいグループも、どんどん馴染んできて、いつか前のグループのことなんて忘れてしまう人も出てくるんだろう。

 


変化。

 

 

何かがおわる。いつまでも終わってはいられないので、おわったものを受け入れて、さあ新しいものについて考えなくちゃ。

 


人は結局慣れる生き物だから、忘れる生き物だから、こんなに発展してきたのだろう。適応。辛くて辛くて堪らない、そんなままの気持ちでいつまでも居たらそりゃあ生きてなんていけない。変化した後の状況にも希望を見出すこと。前に進もうとすること。

 

 

それでも過去に愛したものを忘れずにいたい。何かを遺したい。そういうところで、私は歴史が好きなんだと思う。どこかの合戦で流れた血も、世を変えようと散っていった若い命も、他国に自国を踏み荒らされる悔しさも、私がこの世に誕生した瞬間も、愛した誰かも、本当にあったことなんだ。

 

 

たくさんの涙と怒りと諦めと葛藤と喜びと楽しさと興奮と愛情の上に今私は立っている。

 

 

過去を囚われるものじゃなく、
慈しむものになれるように。繰り返される変化に戸惑いながらも、なんとか生きていこうと思う。