dear

大学生 そのとき書きたいことをそのまま

自分より大事なもの

 

今年の夏、実家に帰った。わたしが産まれた頃の写真や、わたしが産まれる前の母の写真を見た。

母親を一人の他人として認識することはとても難しい。母は何であるよりも先にまず母であるからだ。だけど、写真の中の母は若くて、きれいで(今だってだいぶきれいだと思うけれど)、私に馴染みのない服を着ていて、ちなみにすごく太っていた。私の知らない友達と旅行に行っていたりしていた。


わたしは何かに縛られることが嫌いだ。好きなものしか、大事なものしか選びたくないし、関わっていたくないし、気が向いたらすべて投げ出して好きなように生きたいと思ってしまう。たぶん好きなように生きるということの意味もわからずに。


母とこれからどうしていくのかという話をした。祖父は入院していて、母は去年会社勤めを辞めて開業していて、わたしはもうすぐ21になり大学3年生になる。

母のこれからの話をしているとき、私は友達と話すときのように「自分が好きなようにしたらいいのに」と言った。私はもう20歳も超えているし、母がしたいことをするために今わたしが母にしてもらっていることが無くなったとしても、私はもう母を恨んだりしない覚悟ができていると思った。


「いつも貴女がそういう考え方をできるのは、まだ自分より大事なものが無いからだよ」というようなことを母は言った。それは怒っている様子ではなく、逆にとても優しい目をしていた。


私はそう聞いたとき何故か写真の中の母を思い出した。写真の中の母は私と関係のない他人だった。ある程度好きなようにしていたと思う。わたしが小学生の頃に母の箪笥の奥にあった肩パットの入ったブランド物の服、ミツコの香水、24金のアクセサリー、そういったものたちは母だけのためのものだった。母が自分で選んだ仕事で自分で働き自分で買った自分のためのものだった。今それらの一部はむかし私と生活をするために売られてしまっている。


私は「そうかもしれない」と答えた。今の私には正直自分より大事なものはない。私は自分を大事にしてくれるもののことしか大事にしていない。それは自分で選んだものだし、自分よりも大事とは言えないと思う。

だけど母は私のことを自分より大事に思っているのだ。多分、ほんとうに。そしてその頃から私と母はお互いに関係のない他人とは呼べない存在になってしまったのだと思う。


そのことに気付くのに私は21年近くかかってしまった。18年も一緒に暮らしてきたというのに。


私と母は全く似ていないし、体型も声もものの考え方も得意なことも苦手なこともなにからなにまで違う。狭い空間でずっと一緒にいると息が詰まることもある。だけど大事な存在だ。


いつか母のように自分より大事なものができたときのことが楽しみでもある。私がすっかり変わってしまうこと。そしてもしその相手に「自分が好きなようにしたらいいのに」と言われたらニヤニヤしながら「それはあなたにまだ自分より大事なものが無いからだよ」言ってやろう。