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大学生 そのとき書きたいことをそのまま

私達は空を見上げない

くすんでいる。


住みよいくせに若者の欲望の、基本的なところと、そこより少しニッチなところだけを満たしている街。メジャーな、だけど、基本的なところよりは楽しみたくない?は満たされない。

 

ここは私のための街だと思った瞬間にその街は私のものになる。

 

私達は空を見上げない。空を見上げない私達は、工事をしている南口を、「なんだか最近白い壁に覆われている狭いところ」としか思えない。圧迫感。この駅前も住んで一年近く経つと真新しさなど何もない。心惹かれるものも。知らない街で見る知らない景色のように。

 


くすんでいる。

 


初めて歩いたこの街はなんだかきらきらと輝いて私を歓迎していた。私のものになってしまったこの街は輝いていない。

 


駅を出て1分と経たない。銀行の隣のコーヒーチェーン店。二階。螺旋階段を登る。喫煙席は窓に面している。

 

 

玩具の積み木のようだった。

 


空中にむきだしの木材が、階段状にぽっかりとある。その上に人がいてなにかを運んでいる。高い。目線を下げると工事中の白い壁の囲いの中だった。壁よりもずっと高くその木材は積み上がっていて、不思議と幼稚園の頃に見た聖書の挿絵を思い出した。バベルの塔だ。人がなにかを高く作り上げているところをわたしは俯瞰して見ている。神のように。


私達は空を見上げない。地の上の情報に追われて手一杯だ、だけど、少し視線を上げると思ったよりも世界は三次元的につくられていて、ひょっとして私の価値観ってつまらない?と思う。


心がわくっと動いた。


なにかを作ったり考えたりすることは今よりも少し、世界を広げることにあたる。ような気がする。詳しくなんか知るか。私は空を見上げるんだよ。

2018年に行ったライブ


今年は2つライブに行った。


1つめはほぼ1年前になるのかな、2月のことだったと思う。the xxのワールドツアー、in幕張。ものすごい衝撃でその熱を勢いのままに書き留めて一度ブログに載せたんだけど、今はもう消してしまった。当時の人と別れてしまったから。勿体無いな。今も覚えているところだけ、書き起こしてみようと思う。


とにかく生まれて初めて生でめちゃくちゃに質の高い音楽を目の前にしてひたすら圧倒されていた。少ない音数、和音のひとつひとつがえっそんなところ突いてきちゃうの?と、今まで知らなかった自分の性感帯を探り当てられた感じ。ボーカル2人の声がそれぞれそりゃあもうひたすらに良くて、聴いているだけで頭がぼうっとする。会場のライトもスモークも、妖しい雰囲気を醸し出していて、こういうの、なんていうんだろう。


フェティッシュ


その音楽とライブ会場の世界観がなんだか心の奥底がザワザワして落ち着かなくて、こんな世界に向き合ったら大変なことになる、そう思う。もう戻れなくなってしまう、今まで大事にしてきた価値観、考え、人間関係、全部投げ捨ててしまいそうになるような。あのライブそのものが、セックスのメタファーに感じるほどに異常で、特別で、そりゃあもうどエロかった。


またthe xxのライブに行くんだろうか。行って、私は大丈夫なんだろうか。これからもまともに生きていけるだろうか?

 


さてもう一つは欅坂46の屋外ライブ、欅共和国2018。全く違ったよさがある。

noteの方にどれだけ平手友梨奈ちゃんが堪らなく特別な女の子か、みたいな記事を載せたんだけど時間が経てばまた見えてくるものもあるだろうし。こちらも今思うところを書き起こしてみます。


若くて、細くて、可愛い女の子達。本来なら守られなきゃいけない側なのにそんな彼女達が全身全霊で全力で踊って歌って必死に曲を伝えている。誰かが本当に本気で何かをしているところって、そうそう見られるものじゃない。胸を打たれない訳がない。

スクリーンに平手友梨奈ちゃんが映るたびにそのあまりの美しさに泣きそうになった。溢れてくる感情をなんとか発散したいのに言葉なんてなにも出てこなくて、「あーっ、あー…あー…」ってずっと行っていたと思う。キモオタだなこりゃ。本当にあーくらいしか言えない。美しすぎて危うい。こんなに眺めていていいのかと思う。この女の子をこんな消費の仕方をしてしまっていいのだろうかと思う。きっ、と顔を上げた瞬間の彼女を見て、圧倒的にこりゃ敵わないなと思った。その一瞬を味わえただけでもう十分だった。本当になんでもいいよもう。手が届かない。態度が悪い。中二病。いやもう本当にどうでもいい。どうなろうと、何を語らなくても、私の中で彼女は十二分に特別な存在で、本当にただそれだけが全てだった。そう思える瞬間だった。

 

ライブって、本当にいい。生でしか味わえない圧倒的な瞬間を味わえる。普段の生活では気付けない自分の奥底の重くて深くてめちゃくちゃな感情を引きずり出される。


来年も素敵なライブに行けますように。

Advent

アドベント待降節。クリスマス4週間前の日曜日からクリスマスイブまでを指す。

 

クリスマスを待ちわびる期間だ。何かを待っている期間は楽しい。そういや日本にももういくつ寝るとお正月という歌があるななんて思い出す。

 


アドベントを楽しむイベントも幾つかあって。

 

まず、アドベントキャンドルというものがある。クリスマスリースのようなものの円周上に4つ、キャンドルを置く。そして日曜日が来る度に灯をともす。4つ全てのキャンドルに灯がともるとさあ待ちわびたクリスマス、というわけだ。むかしむかし孤児院かどこかで、毎日のようにねえクリスマスはまだ?あと何日?と聞いてくる子供にタイヤの上に4つローソクを置いて日曜日が来る度にカウントダウン。それが起源だとドイツ語の教授が話していた。正確な話かは分からないけど私はこの話が好きだった。なんだか可愛らしくて。

 

ドイツの、というか、本場のクリスマスはアドベント期間がメインといってもいいくらいだそうだ。街並みのライトアップや店々の飾り付けは24日までで、25日には綺麗さっぱりいつも通りになっていたりするらしい。

 


まあ何事も楽しみにしている期間が1番楽しいよね。

 


アドベントイベント(韻?)、アドベントカレンダーというものもある。カレンダーに小窓がついていて開けるとちょっとしたお菓子が入っていたりして、それを開けるのを、クリスマスまで1日ずつ近づいているのを毎日楽しみに過ごすわけだ。なんかこれも可愛いな。

 


アドベントカレンダーで思い出す話を一つ。

 


私の通っていた高校はプロテスタント教育に基づいていて。2年前、高校3年生の12月の私は、というかクラスの私達は、毎日のように夜遅くまで教室に残ってひたすら受験勉強をしていた。次々に更新される推薦組の楽しそうなInstagramの投稿とか、早々とメイクをして学校を去る友達を羨まないよう必死だった。大丈夫、受験が終われば、大学に受かれば、私達には楽しい生活が待っているから。そう思って。

 


そんな私達のために担任の先生が教室の隅にアドベントカレンダーを置いてくれた。

 


辛口で嫌味ばかり言う担任だったけど、最後まで残って勉強してたやつは食べてっていいぞなんて言って。扉を開けるとちょっとしたチョコレートなんかが入っていて、いそいそと1日1日のカレンダーの窓にお菓子を詰めている担任を想像して嬉しくなった。

 


あーあれ嬉しかったな。久しぶりに思い出した。

 


「何か楽しみがあること」って、いい。すごくいい。大仰な言い方だけど、今を頑張れる糧になる。ドイツの人達はクリスマスの何を楽しみにしているんだろう?当日にはライトアップもキャンドルも何もないのにね。

 

きっと私達は何もなしにその日を生きられるほど強くはないから、まだ来ない何かを楽しみに、なんとか今日を生きてるんじゃないかと思う。週末に友達と会えるなあでも、卒業旅行したいなあでも、いつか素敵な人に巡り合って幸せな家庭をでも、なんでもいいんだけど。

 


ちょっとイベントが苦手だった。
何か特別なことをしなきゃいけない焦燥感に追われるから。

 


「うわ、来週クリスマスじゃないっすか!やったー!」
「なんか予定あんの?」
「別にないっすけど…普通に今日と同じように塾来るし、あっ、そうだ俺来週なんかお菓子買って来ますね!」

 

男子高校生の生徒が無邪気に話していた。ああもう私お前のことすげー好きだよ。

なんか特別なことをするから、じゃなくてその日がなんか特別だから、イベントなんだよな。イエスも優しいしそんな祝い方で愛してくれるでしょう。

 


良いクリスマスを!

名古屋

地理が苦手な私は関西と近畿と中部の見分けがつかない。
やっと、愛知や岐阜は関西と呼ばれないことを知った。葬式を終えた私は残りの夏休みを利用して3日ほど1人名古屋に残ろうと思った。もともと1人で知らない土地にいるのが好きなのだ。


父の車で名古屋まで送ってもらった。小一時間ほど。車の中では最近のアニメや映画といった当たり障りのない話をしていた。あまり自分のことを多く語らない父だけどこうして話すとなんだかんだ似たような音楽を聴いて似たような映画を気に入っている。家にいても帰ってきた途端に自分の部屋に上がってしまうところも、まあ親子なのだな、と思うところである。


大学や私生活のことを聞いてこないところが好きだ。きっと、父親としての義務を果たしていない自覚はあるから口出す資格がないと思っているのだろう。今でも不思議な距離感である、いつまで彼はたまに会いに来るヘラヘラしたおっさんなのだろうか。


名古屋の店を教えてほしいと言うとスガキヤに連れて行ってくれた。ここを知らなきゃ名古屋を知ったとは言えない、と。320円のラーメン、いやいや安すぎだろう。夜ご飯は夜ご飯で1人で食べたかった私のために父が頼んでくれたのを一口貰う。美味しかった。ふざけた形をしたスプーンも、よかった。クリームぜんざいは甘すぎた。本当に独自の食文化が出来上がっている。

 


名古屋は父と母が出会った街だ。

 

 

ホテルで降ろしてもらい父と別れた。チェックインして暫く部屋に1人でいると誰かと話したくなった。インターネットともだちに名古屋の人がいたので彼と飲みに行くことにした。名古屋駅東口、金時計の下で待ち合わせた彼は名古屋大学の医学部生だと言う。エリートじゃないですか、というとやんわり否定された。随分と物腰が柔らかい人だと好感を持った。


名古屋料理が美味しいという居酒屋に連れて行ってくれた。手羽先、ひきずり鍋、ひつまぶし、片っ端から名古屋料理を頼む。彼と話すうち同じ塾で塾講師をしていることがわかって話が盛り上がった。教えてるともう一度受験したくなるよね、とか、社員のここが酷い、とか。医学部生の意外にリアルな話も聞けた。実習で看護師に酷い対応をされると言っていた。母は看護師をしていたこともあったので、うーん確かに医者はクソしかいないなんて母が話していたなと苦笑したり。


「最初は目の前で苦しんでいる人がいた時何もできないでいるのが嫌で、それだけで医者になろうと思ったんだ」
「素敵じゃないですか」
「でも作業のように知識を詰めてるばっかりで、本当にやり甲斐があるのかわからなくなってきた。友達と何歳で医者を辞めるかばっかり話してるよ」
「じゃあ今何がやりたいんですか?」
「本当はカフェとか開くのが1番いいよね。珈琲を丁寧に入れて、それをお客さんが美味しいって飲んでくれたらそれで十分でしょう。努力と、見返りの距離が近い仕事っていいなあって思う」

 

それもそうだと思った。


社会で生きること、歯車の一部になると自分の仕事が他人に与える影響を直に感じることが難しくなるのかもしれない。だから塾講師はやめられない、というところで意見が一致した。自分の説明で、授業で、生徒がわかった!と顔を綻ばせること。模試の成績を笑顔で持って来る瞬間、合格の喜びを一緒に共有できること。努力と見返りの距離が近い。私が勢いのまま辞めてしまったインターンは只管記事を書いて投稿するだけだった。コメントもない。何10万人という閲覧数がついたところで、本当に彼等の生活を何か変えたのか、という証拠になるレスポンスは何もない。

 


やっぱり人と繋がっていないと続けられないのだろうか?

 


1人になりたいと思って名古屋に来たのに名古屋の街を歩きながら考えるのは東京にいる人達の事ばかりだった。土地を変えたところで私は変われないので、考えることは結局どこにいても同じなのだ。次の日、1人で大須を歩いた。少し有名なカフェやレストランに入る。古着屋を巡る。素敵なお店がたくさんあった。薄緑色のパンツを試着したお店で仲良くなった店員のお兄さんに勧められるまま白のブラウスも買ってしまった。彼は普段東京の青山にある古着屋で働いていると言う。繋がっている、と思った。彼に教えてもらった大須のお店を片っ端から歩いた。何処も素敵だった。タイ人の男の人にナンパされた。私の好きなアイドルが生まれた。いいな、名古屋。いい街だ。

 

 


次の日に昼から友達に2人会った。2人とも、このあたり出身で5年前にインターネットで知り合った。女の子の方は東京の、男の子は関西の大学に通っている。女の子は東京で会ったことがあるけど男の子は初対面だった。5年間、インターネットで生活の様子を見守っていたので初めて会っても初めて会った気がしない。時代かなぁ。

 

大学生活なりの話をしながら、2人に食べたかった味噌煮込みうどんに付き合って貰った。ううん、味が、濃い。おいしい。名古屋コーチンというらしい鶏肉はとてもおいしい。うどんはすごく弾力があって、固めだ。おいしい。けどやっぱり味が濃い。北海道育ちの私とは全く味覚が違うんだろうな。

 

髪を切りに行くという女の子と別れて男の子と2人駅の近くのデパートで服を見ていた。適当な話をしながら。自分が選んだり勧めた服を気に入ってくれるのは嬉しい。とても。途中同じ大学に通う2人と同郷の友達も1人混ざって、髪を切ってきた女の子も戻ってきて、4人でカフェに入って色々な話をした。高校の時のこと、いい女とは、とか、最近聴いている音楽のこと。

 

髪を切ってきた女の子はとても可愛くなっていた。男の子が自然と、似合っとるな、と優しい声で言っていたのをとても覚えている。ちょっと、キュンときてしまった。女の子の容姿を優しい声で褒めることができる男の子はすごく、いい。その子が帰った後も少し3人で話をした。2人とも私の知らない音楽を聴いて本を沢山読んでいた。いいな。本、ゆっくり読んでないな。残りの夏休みで読めるかな。

 


2人と別れホテルに戻った。3泊目ともなるともう家のような安心感がある。駅前も大体の道がわかるようになっている、けれど、まあ、なんか違うよな。

部屋のゴミを片付けた。冷蔵庫にあるものを、食べるものと捨てるものに分ける。お気に入りのインスト曲を流す。昨日買った服も着ちゃう。お酒を飲んで機嫌が良いので部屋の中をぐるぐる回っていた。

 

 

 

さて、東京に帰ろう。
私の大事なものがあるのはここじゃない。

窓を開ける

今の家に越してきて2ヶ月半になります。

 

新築で白を基調としたシンプルなデザインも、3階建てのような構造も、ロフトへ続く階段が夜には光ることも、少し壁が薄くて隣の部屋から早口の中国語が毎晩聞こえてくるところも、なかなかに気に入っている。なかなかに気に入ってはいるのだが、

 

日当たりは悪い。

 

悪いというか、ない。

 

リビングにいてもロフトに登っても窓から一筋も陽の光は入ってきません。朝起きて着替えて顔を洗ってメイクをして、朝ごはんを食べてよっしゃ出るぞ、とドアを開けて初めてその日の天気の良さに気付くような。

 

東京に出てから一年と少し、外で洗濯物を干したこともなく。今の家は鉄のワイヤーみたいなものを壁から引き伸ばして洗濯物をかけることができて、それはそれでまあ楽しくて気に入ってはいるんだけどやっぱり人間はどこか本能で太陽の光を求めるものなのよねきっと。

 

カーテンを開けても、磨りガラスの向こうは何も見えない。もう窓は壁の一部のようになっていて、毎朝毎夜のカーテンの開け閉めに意味があるのかなんて思い始めていた頃です。

 

今日、初めて窓を開けた。

 

窓から身を乗り出すと空が見えて、うわっ空だ!と叫びたくなった。私は2階に住んでいるので家の周りの少しの景色を見渡せる。ふと目を横にやると風にはためく洗濯物が目に入った。

 

洗濯物?

 

慌てて下の階も覗くと私以外の部屋ではみんな洗濯物を外に干していた。窓を開けるとちゃんと洗濯物を干すための竿がつけられていて、私だけが2ヶ月ひたすら部屋干しを繰り返していたのだ。

 

洗濯物、外に干せたのか……!!!!!

 

なんだかすごく損した気分になった。同時に自分の部屋が突然開放的な場所に思えて嬉しくもなった。私の部屋はちゃんと外と繋がっている。

 

窓をひとつ開けただけで向かいの家の2階にテラスがあって色々な植物を育てていることや、部屋のソファーに座りながら風を感じたり家の前の道を走る子供の声を聞けることに気付けるらしい。

 

 

窓、すごい。窓は開けるものだ。

 

おわる


私は来年10代を終え、その約1ヶ月後に平成が終わるらしい。

 

変化。

 

変化すると物事は名前が変わる。天皇が変われば元号が変わる。1年生きるごとに名乗る年齢が変わる。曇り空が雨になるように、蕾が花になるように、あらゆる物事は絶えず変化を繰り返す。

 


友達に連れられて地下アイドルのライブを観に行ったことがある。友達の好きな子が見られる最後のライブだったということで、ライブハウスを出て渋谷駅に着くまで、ずっと泣きじゃくる友達を笑いながら宥めていた。道行く人に振り返られてもただただその子にもう会えないことが悲しくて悲しくて堪らなかったんだろう、ひたすらに涙を落とす友達を愛しく思った。哀しくもなった。

 

もう終わりが来てしまうんだ、変わってしまうんだと自覚した時のつらさったらない。3人グループだったあのグループは、1人がいなくなっても続いていくけれど、もう彼女が居た頃とは違っているんだ。

 

3人のそのグループがすごく好きだったんだよ、と何度も友達が言っていた。わかるよ。残った2人がだめなんじゃない、でも、あの3人だったからこんなに、救われて大好きで堪らなくて泣きじゃくるほどになれたんだろう。

 


最近、Twitterで件のグループに2人新メンバーが入ったというツイートが回って来た。

 

勿論かわいらしい女の子なんだけど、グループ名が友達の好きな女の子がいた頃と変わってしまっていたことがなんだか悲しかった。メンバーのTwitterのページにはex:の後ろに私と彼女が見た3人の頃の、グループ名があった。


新しいグループ名でどんどん更新される情報に、画像に、ああ、こうやって変わっていくんだなあと少しずつ納得していってしまう自分がいた。そりゃあ、3人だった頃のグループとは変わってしまったんだ。名前を変える方が正しいのかもしれない。新メンバーに惹かれている友達もいる。きっとその新しいグループも、どんどん馴染んできて、いつか前のグループのことなんて忘れてしまう人も出てくるんだろう。

 


変化。

 

 

何かがおわる。いつまでも終わってはいられないので、おわったものを受け入れて、さあ新しいものについて考えなくちゃ。

 


人は結局慣れる生き物だから、忘れる生き物だから、こんなに発展してきたのだろう。適応。辛くて辛くて堪らない、そんなままの気持ちでいつまでも居たらそりゃあ生きてなんていけない。変化した後の状況にも希望を見出すこと。前に進もうとすること。

 

 

それでも過去に愛したものを忘れずにいたい。何かを遺したい。そういうところで、私は歴史が好きなんだと思う。どこかの合戦で流れた血も、世を変えようと散っていった若い命も、他国に自国を踏み荒らされる悔しさも、私がこの世に誕生した瞬間も、愛した誰かも、本当にあったことなんだ。

 

 

たくさんの涙と怒りと諦めと葛藤と喜びと楽しさと興奮と愛情の上に今私は立っている。

 

 

過去を囚われるものじゃなく、
慈しむものになれるように。繰り返される変化に戸惑いながらも、なんとか生きていこうと思う。

 

 

東京近辺を歩く 鋸山


前日の夜、ふと遠出をしようと思い立った。

 


インターネットで東京近郊の日帰りスポットを検索していると、「都会の喧騒を忘れる一人旅」「フォトジェニックな女子旅行」「大切な人と特別な時間を」と、何かしらを目的としたタイトルの記事が溢れていて、それを眺めているとだんだん嫌気が差してきて何処にも行きたくないような気がしてきた。私は都会の喧騒を忘れたい訳でも、フォトジェニックな景色を求めている訳でも、特別な時間を過ごしたい訳でもなく、ただ少しだけ遠くに行きたいだけなのだ。いや、こうして観光地を探している時点で純粋に遠くに行きたいだけとは言えないのだけど。

 

どこか島に行こうと思ったけれど時間とお金がかかりすぎるし、どうも前日に思い立って東京からふらっと行けるようなめぼしい島が見つからなかった。その他記事にまとめられているような場所はすぐ約束したがりな私が誰かと今度行こう、と言っていた所ばかりで、そこに1人で行ってしまうのは勿体ない気がした。海が見れないのであれば、山に行こう。高尾山は近過ぎるし…と思いながら1時間ほどスマートフォンを撫で続けていると、なんだか岩の先をすとんと切り落としたような、そのまま空中に放り出されたような、不思議な光景が目についた。鋸山というらしい。

自宅からは2時間かからないくらいで、JRだけを乗り継いで2000円ちょっとで行くことができる。良い。千葉県。良い。岩をくりぬいたような大仏もある。良い。ロープウェーで登ることができる、とても良い!

 

というわけで、7時間後には家を出て鋸山に向かうことを決めた私は慌ててシャワーを浴び眠りについた。


珍しく誰のためでもなく純粋な楽しみから目覚ましが鳴る前に目が覚めた。鋸山に向かう電車の中で窓の向こうの景色を眺めていた。東京はどこの街にも聳え立つようなマンションが立ち並んでいて、あの小さい窓ひとつひとつに誰かが住んでいて、そのひとつひとつの部屋に数千万の価値が付けられていると思うと気が遠くなりそうだった。一体この町はどれだけのお金が動いているんだ?

 

そして小さい頃は気付かなかったけれど、どんな田舎にもラブホテルがあって、安っぽいネオンが昼間は消えているのがさらに安っぽく映った。

それもまた町の景色の1つで、需要と供給、どんな田舎にも都会にも人が住んでいる限り性欲は実在するんだなあと思う。

 


さて目的地の駅で降り、鋸山ロープウェイへ向かう。小さい駅で、人もそんなに住んでいなくて、それでもロープウェイの料金はPASMOで払える事に笑ってしまった。GWというのもあってチケットを買ってから30分ほど日差しの下並んでいたけれど、本を読んだり水を飲んだりしながらやり過ごした。

後ろに並んでいた多分北欧系の夫婦が、本でも読んだりしていれば時間が潰せたわね、なんて英語で話していたのでにっこり笑いかけたらその倍くらい素敵な微笑みを貰ってしまった。どうして旅先で出会う外国人の方は皆とても素敵な微笑み方ができるんだろう。

 

ロープウェイは数分で私達を山頂へ連れていってくれる。うん、私達という呼び方をしたくなる。数分間、同じ箱の中に居ただけでも不思議と親近感を持ってしまうからだろう。兎にも角にもそうして、私はゆっくりと展望台などを巡ることができた。

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私は山が好きだ。


北海道に住んで居た頃はよく1人で山に登っていた。ここは私のための場所ではない、という感覚が好きだった。私のための場所でもないし、どの観光客のための場所でもない、ただ山はそこにあるだけで、訪れる私達は客にしかなり得ない。そんなところが好きだった。お邪魔します。

 


山というのは、
岩と土で出来ている。

 

そんな当たり前のことを忘れていた。

遠くから見れば木々しか見えないが、違う、山を形成しているのは岩と土だ。山の中に入らなければそれはわからない。

 

最初に、百尺観音を見た。観音像よりもまずそこに通ずる巨大な岩の間を裂いて通っている感覚に圧倒されてしまった。頭上、何十メートルになるのだろう?そんな高さまで一枚の岩が聳え立っていて、その隙間をひとが潜っていった。今にも岩が気分を変えたらその隙間はふいに閉じられてしまいそうだった。その隙間を越えると、また巨大な岩に仏像が刻まれていた。

まさに岩を刻んだ観音像だ。

その隣にある説明書を見て私はようやくこの日本寺がどんなものか知った。光明皇后の命によってなんたらという文章を読んだ、と思う。芸術の良いところは背景を知らずともその存在だけで見るものを圧倒できるところだ。

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地獄のぞきと言われる鋸山名物の展望台のようなところがあるらしいけど、あまりに長い列が出来ていたので並ばないことにした。代わりに、少し低い高台から並んでいる人を観察していた。都会で、例えば新宿でどれだけ沢山の人を見ても人混みだとしか思わないけれど、千葉県の鋸山で絶景のために並んでいる人たちは皆驚くほどひとりひとりが生き生きして映っていた。100人がいれば100人分違うファッションがあって、考えがあって、愛する人がいるんだろうなあと思った。なんとなくそう思えたことに満足して、ろくに景色も見ないまま私は山を降り始めた。残すは大仏である。

 

あまりに長い階段を降りた。「お母さんの膝が笑っちゃってる」「えー?どういうことー?」「わはは、お父さんの膝も笑っちゃってる」そう話す親子に、お姉さんの膝も笑っちゃってるよ、と声を掛けたくなる。

一段階段を降りるごとに、少しずつ膝から力が抜けて行く気がする。確かめるように一歩一歩踏みしめるように階段を降りた。週の半分私が通っているジムは本当に意味があるんだろうか?ベルトコンベアが流れるだけの機械で30分規則的に走る私は半年でもしたらこの山の階段を本当に平気で降りられるようになるんだろうか。


階段を降り切ると突然ひらけた広場に現れた大仏は、その唐突さも相まってなんだか現実味がなかった。

思わずすごい、と息を吐いていた。近付いて写真を撮って見ても、手を合わせてみてもまだどこかリアリティがなかった。さらに近付いてみると大仏の周りは堀のようになっていて直接触れることができなかった。その堀の向こうから2メートル程の距離で眺めていても、圧倒的に上から見下ろしてくる大仏は私と同じ世界線にいる気がしなかった。右横に回って大仏をまた眺めてみた。蓮の上に座禅を組み、ぽつぽつとパンチパーマのような髪型、(たしか螺髪というのだと丁度先週の大学の講義でやっていた)容姿をしているので如来像なのだと思った。予備知識も何もなしに来てしまったので説明書きを見ると薬師瑠璃光如来というらしいその大仏は、向かって右側からしばらく眺めて漸くその存在がしっくりと自分の中に受け入れられた。

あまりに大きすぎると、私の手に負えない、というか私の世界にうまく馴染むことができないのだと思う。この大仏が坐像石仏としては日本で一番大きいものだと知ったのも、恥ずかしながらこの後である。

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大仏を見てからなかなか長い間、山を下っていた。


山はいろんな匂いがする。仙台に住んでいた時、週末の度に訪れていた国立公園の匂いや、小学生の頃一度だけ参加したボーイスカウトのようなもので牛の世話をしたときの匂いがふと香る。人は何故匂いをなかなか忘れることができないのだろう。忘れた人や町や季節の匂いを、ふとした瞬間に思い出す。事もある。

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山を抜けて里に下りてから、また30分ほど歩いた。何も考えず標識のまま一番近いJRの駅に向かっていたけどその隣の駅からフェリーが出ていると知ってからフェリーに乗りたくて堪らなくなった。駅で20分ほどまた本を読んで時間を潰し、隣駅で降りて10分ほど歩き、そうそこは私がロープウェイに向かうために最初に降りた金浜だったのたが、最近の便を見送り1時間ほど土産屋を眺めてからフェリーに乗り込んだ。

 

フェリーに乗って揺れに身を任せていると、仙台から北海道へ引っ越したときもこうやってフェリーに乗って津軽海峡を渡っていたことを思い出した。

13歳の私はその日のいつもより激しい揺れに言葉にならないほど不安になり、別れたばかりの仙台の友達にもうだめだ、船がひっくり返って私はここで死ぬ、とメールを送ろうとしては、海の上なので電波が届かず、ああ、最後の言葉を遺すこともなくこのまま友達も誰もいないまま、居場所がない私は消えてしまうのだろうか、と思っていた。

前の家を出て、次の家に入る間の期間というのは自分の帰る場所がわからなくてとても落ち着かない。空の箱1つでもいいから、帰る場所があるというのはそれだけで救われるのだと思う。もちろんフェリーは安全に函館港に到着して、新しい家に無事移り住んだ私はそれから7年近く経った今も元気に生きている。

 

人間は地に足をつけて生きて行く生き物なんだろうと思った。常に、自分がどこにいるかはっきりと自覚していたいんだ。帰る場所が欲しいんだ。魚のように、鳥のように、水の中や空といった形ない場所を彷徨って生きて行くことはできない。それでも昔に比べて海の上にいても落ち着いていられるのは、少しずつ私が場所に頼らず自分というものを確立していったからなのかもしれない。

 

船の上から丁度沈む夕陽を見ていた。この船から眺める日の入りは少しだけ有名みたいで、観光客は皆船の上から夕陽にカメラを向けていた。

太陽は本当にすごい。太陽は、本当に、すごい。

バカみたいな台詞だけれど、私の視界には直径3cm程度の丸かのように映るそれが山の向こうに姿を消すだけで、世界から光が失われてしまう。当たり前に、すごいと思う。なんだか日々の都会の生活では気付かなかった自然とか、宇宙とかそういったもののすごさを改めて感じられる。太陽、圧倒的にすごい。人間がどんなに文明を発達させても太陽には絶対に敵わない。

皆気付いてる?太陽、ヤバいぞ。

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数十分で辿り着いた久里浜というのは横須賀市にあるのだと降りてから気付いた。適当に東京のどこかだろうと思っていたらどうやら神奈川らしい。京浜久里浜駅まで歩く。家を出てからロープウェイで辿り着いた鋸山山頂で買った団子の他に何も食べていない事に気がついて、突然食欲が湧いて来た。駅まで20分ほど音楽を聴きながら歩いた。

そういえば私は東京で過ごすうち常に移動時間は音楽を聴いていたのに、山を歩いているときは不思議と何も聴く気にならなかったなと思い出した。横須賀。どこかわくわくするその響きも、フェリー降り場から駅までの夜にはありきたりな郊外でしかなかった。

 

駅の近くで、全国どこにでもあるチェーン店ではないお店に入りたいと思って落ち着いたお店に入った。暫くビールやちょっとした料理をつまみながらぼんやり考え事をしていたけど、暫くしてマスターが話しかけてくれた。適当に話を合わせているうちに気付けば私は大学3年生で来月からオーストラリアに留学することになってしまっていた。横須賀軍兵士の客とのやり取りやら何やらを話して盛り上がって、近くの席に座っていた常連のお客さんも会話に加わって、少しだけ「知らない地元の人」と話せて嬉しかった。きっと、「知らない地元の人」として大切にしたいんだ。特別にしたいんだ。だから私はきっと、2度と彼等と会うことはなくて、架空の自分を作り上げてしまう。

 

終電で家へ帰った。行きは長く感じた道のりも帰りは今日1日を思い出していると一瞬のことのように思えた。


写真を見返しながら気付けば今日出会った人達を思い出していた。ロープウェイを後ろで待っていた北欧系の夫婦の素敵な笑顔だったり、猫と戯れる地元の子供の笑い声だったり、夕陽を撮るカメラマンの横顔、横須賀のお店のマスターの神経質そうな指。


少しだけ嘘をついてしまったことを申し訳なく思った。私のことを誰も知らない土地に1人で行っても、やっぱり私は私なのだし、なんだかねえ、誰かにはなれないのだし私は人が好きみたいだし。

 

また遠くに出かけよう。今度は、私のまま出かけよう。